▪はじめに
結婚されている男性の皆さん、奥さんへの愛や感謝の気持ちを普段から言葉に出して伝えていますか?
照れくさくて出来ていない、という方は多いと思います。
そんな男性の方にピッタリの記念日が1月の最終日にあるのでご紹介します!
目 次
愛妻の日とは
愛妻の日は、毎年1月31日にあります。
愛妻日は、日本愛妻家協会が2006年(平成18年)に制定した記念日です。
日本愛妻家協会とは、2005年(平成17年)に発足した団体で、いつまでも妻との関係があたたかであるように願うことを目的とした団体です。
▪意味
愛妻の日には、「妻というもっとも身近な存在を大切にする人が増えると、世界はもう少し豊かで平和になるかもしれない」という理想のもとに愛妻家を増やすという目的があります。
▪由来
愛妻家の日が1月31日になった由来は、「1」を英語の「I(アイ)」と読み「31」を「さい」と読むという語呂合わせから選ばれました。
▪イベント
日本愛妻家協会のコンセプトに賛同している株式会社日比谷花壇は、毎年愛妻の日に合わせて「愛妻の日 男の帰宅花作戦」というイベントを開催しています。
このイベントでは、『永遠の愛』という花言葉をもつチューリップを「日比谷花壇特製 愛妻の日ラブフラワー」として特別商品を販売するほか、割引特典付き「日比谷花壇特製 愛妻家宣言証」や「日本愛妻家協会×日比谷花壇特製ハグマット」などの「愛妻家グッズ」の配布もされています。
2019年には愛妻の日の特別商品として、チューリップの花束やバラのプリザーブドフラワーアレンジメントを各店舗やオンラインショップで販売したり、1月17日~3月31日の期間中に各店舗で商品を購入した人(希望者)に「愛妻家グッズ」のプレゼントを地思惟しました。
このイベントは毎年行われているので、愛妻家の皆さんはぜひ奥さんにお花を贈ってみてはいかがでしょうか?
愛妻の雑学
<愛妻家の聖地は嬬恋村!>
キャベツで有名な群馬県嬬恋村は、日本愛妻家協会により「愛妻家の聖地」と制定されています。
嬬恋村が愛妻家の聖地になったのは、村名の由来となった日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の伝説からです。
第12代景行天皇の皇子であった日本武尊は、九州を平定した後に弟橘媛(オトタチバナヒメ)と出会い結婚しました。
その後、景行天皇から東国の征伐を命じられ、日本武尊は弟橘媛を連れて東国へと向かいます。
しかしその道中、浦賀水道を船で渡っている時に一行は嵐に見舞われました。
嵐は海の神ワダツミが怒っているからだと考えた弟橘媛は、ワダツミの怒りを鎮めるために自ら海に身を投げました。
嵐は収まったものの、最愛の妻を亡くした日本武尊は嘆き悲しみ、東征後の帰り道に立ち寄った碓日坂(現在の鳥居峠)で「あづまはや(愛しいわが妻よ)」と3回も叫んだのです。
嬬恋村はこの話から名前がつけられ、2006年に愛妻家の聖地として制定されたのです。
<愛妻家で有名だった武市半平太>
愛妻家と呼ばれる人は、歴史上の人物にも数多くいますが、土佐勤王党の中心人物だった武市半平太も愛妻家として有名でした。
武市半平太はイケメンで文武両道の人物だったそうですが、生涯1人の妻だけを大切にしていました。
半平太の妻・富子は19歳で結婚しましたが子供がいませんでした。
当時の武士の跡取りを残すために子供ができなかった時は妾を取るのが常識とされていました。
富子も当然そうすべきだと考えていて、ある日半平太の弟子が「奥様が病気療養中だと偽ってご実家に帰られている間に、先生にかわいい女の子を送り込みましょう」と提案しそれを実行したことがありました。
しかし半平太は、富子の体をずっと心配していて、弟子が何人かわいい女の子を連れてきても一切手を出しませんでした。
そのうち弟子の策略がバレてしまい、半平太は「子供ができないのは運命なのだから、余計なことはしなくていい」と弟子を叱りつけたとのことです。
そして生涯、妻の富子と仲睦まじかったそうです。
▪まとめ
日頃キチンと奥さんに気持ちを直接伝えられていない男性の皆さん、愛妻の日にはぜひお花などのちょっとしたものをプレゼントしたり、日本武尊のように声に出したりして気持ちを伝えてみてください!
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