「3月10日 水戸の日」
■はじめに
茨城県の県庁所在地は水戸市ですが、ひょっとするとそれより「水戸黄門」や「水戸納豆」の知名度のほうが全国区かもしれません。
目 次
水戸の日とは
3月10日は語呂合わせピッタリの「水戸の日」ですが、水戸の人たちでも制定経緯や制定者は知りません。
■水戸の日の意味と由来
「水戸の日」にどんな意味が込められているかと言えば、今ひとつ地味な県庁所在地の名を全国に知らしめ、茨城観光に役立てようとしたとしか考えられませんね。
しかし「水戸の日」を知っている人は全国はおろか、茨城県人でもどれほどいるものなのか甚だ疑問ではあります。
筆者は茨城県人となって10年を超えますが、今年に入るまで「水戸の日」があることは知りませんでした。
■水戸の日のイベント
岡山・後楽園、金沢・兼六園と並び日本三大庭園と称される水戸・偕楽園で毎春開催される「梅まつり」が水戸市最大のイベントで、関東一円から多くの観光客を集め、この時期にだけ使用される「偕楽園駅」もありますね。
過去にはコロナ禍で梅まつりは多くの企画が中止となり、梅の花を楽しむだけになって、せっかく選ばれた10人の「梅むすめ」もさぞ残念だったことでしょう。
水戸の日の雑学
▽徳川御三家
尾張、紀州、水戸が徳川御三家であることは誰もが知っていますが、当初は家康の徳川宗家、尾張、紀州を御三家としていました。
家康は11人の男子を授かりましたが、その多くは若くして亡くなり、徳川の血筋以外に将軍職が移ることを恐れ、晩年になって9男義直に尾張家を、10男の順宣には紀州家を継がせ、11男頼房を水戸藩主としました。
家康の心配はもっともで、当時は子どもが成人前に亡くなることが珍しくありませんでした。
徳川の分家はその3藩以外に甲府、舘林があって、こちらの方が水戸より格上だったようですが、甲府藩主綱吉、甲府藩主家宣がともに5代、6代の将軍となったため、この分家は消滅して水戸家が繰り上がり、晴れて御三家と呼ばれるようになりました。
▽天海僧正の予言
NHK大河「麒麟がくる」の最終回で、光秀が生きていて後に江戸幕府のブレーンである天海僧正になったという珍説(?)をにおわせる場面がありました。
それはともかく、天海は水戸藩から将軍が出た場合、江戸幕府は滅びると予言していたそうで、実際に水戸藩の慶喜が一橋家の養子を経由して15代将軍となるに及んで、予言通り徳川幕府は終焉しました。
予言の根拠は、風水によると水戸が江戸城の鬼門に当たる方角にあったからと伝えられています。
▽水戸で生まれた「オセロ」ゲーム
「オセロ」ゲームの原形は長谷川五郎氏が、水戸中学校(現水戸一高)の生徒だった1945年に息抜きのために考案したものでしたが、今日の完成形になったのは20年後のことでした。
1973年にようやく日本オセロ連盟が設立され、東京・帝国ホテルで開催された第1回選手権大会の大成功の新聞報道によって、オセロ人気は全国に広がることになりました。
その後、海外でも人気を得たオセロの競技人口は1976年に2500万人を数え、世界オセロ連盟設立、第1回世界大会の東京開催につながることになり、今やアメリカではチェスに次ぐ人気と言われています。
「オセロ」というゲーム名はシェークスピアの「オセロ」からで、黒人の将軍オセロ(黒)、白人であるオセロの妻(白)、緑の平原での戦い(緑の盤面)をイメージしたそうです。
■最後に
水戸藩第2代藩主水戸光圀、いわゆる水戸黄門の全国漫遊がフィクションなのは今では広く知られていますが、そんな話が持ち上がったのは、光圀が「大日本史」の編纂に心血を注いだためと言われています。
ちなみにお供の2人は安積覚兵衛(格さん)、佐々介三郎(助さん)という実在の水戸藩士でした。
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