▪はじめに
梅は昔から日本人に愛され、利用されてきた植物です。
春先に可愛らしい花を咲かせる梅は「春告げ草」とも呼ばれており、実は梅干しや梅酒など様々な形に加工され、薬としても使われてきました。
そんな梅に関する記念日は、梅の実が生る梅雨の時期にあります。
目 次
梅の日とは
梅の日は、毎年6月6日にあります。
この記念日は、梅の産地で有名な和歌山県田辺市の紀州田辺うめ振興協議会(紀州梅の会)によって2006年(平成18年)に制定されたものです。
紀州田辺うめ振興協議会とは、紀州梅を広く消費者に伝え、紀州ブランドを確立し、紀州梅の消費拡大を図るとともに、地域の関係機関及び関係団体との緊密な連携を保ち、梅産地として住民の産地意識の向上を図り、梅を柱とした地場産業の振興を目的として2001年(平成13年)に設立された団体です。
▪意味
梅の日には、日本の食文化の起源でもあり、古来より日本人の生活と文化に深く浸透し愛されていきた梅を再認識し、梅に感謝するとともに、受け継がれてきた伝統文化を継承し、「梅のある暮らし」に広げていきたいという思いが込められています。
▪由来
梅の日が6月6日に制定されたのは、日照りが続いて人々が苦しんでいた室町時代の天文14年4月17日(新暦1545年6月6日)に開催された京都の加茂神社の例祭(現・葵祭)にて、後奈良天皇が梅を奉納し五穀豊穣を祈る神事されところ、たちまち雷鳴轟き雨が降りはじめ、五穀豊穣をもたらしたという故事が由来となっています。
また、この時期は梅が実り、本格的な収穫が始まる時期であることも由来の1つとなっています。
▪イベント
毎年梅の日である6月6日には、日本各地で梅に関する神事や記念式典、行事などが行われています。
梅の日を制定した紀州田辺うめ振興協議会は、毎年6月6日に平安時代の装束をまとい行列を組んで、京都の下鴨神社と上賀茂神社へ青梅の奉納を行っています。
また、和歌山県の熊野本宮大社と須賀神社にて毎年6月6日に「梅の日」の記念式典が行われています。
この式典では、梅祭の神事として青梅に塩を振りお神酒を注ぐ「梅漬けの儀」が行われます。
この梅は紀州田辺うめ振興協議会がいったん持ち帰り梅干しとして完成させた後、改めて奉納されます。
熊野本宮大社では、紀州田辺うめ振興協議会から梅干しの振る舞いがされるので、興味のある方は足を運んでみてください。
梅の雑学
<梅は薬として中国から伝わった>
梅は、もともと日本に自生していたという説もありますが、中国から伝わったという説が現在最も有力だとされています。
中国から日本に伝わったのは今から約1500年前の飛鳥時代ごろで、「烏梅(ウバイ)」という薬として伝わったとされています。
「烏梅(ウバイ)」とは青梅を燻製・乾燥させたもので、胃腸薬や風邪薬として使われたり、紅花染めをする際に媒染剤(染料を繊維に定着・発色させるもの)として使われたりしていました。
因みに「烏梅(ウバイ)」という名前は、燻製・乾燥させることで実がカラスのように真っ黒になることが由来となっていて、現在でも漢方薬として利用されています。
中国から伝わった梅は、可愛らしく匂いの良い花を咲かせるため、奈良時代や平安時代には桜よりも人気の高く、「花といえば梅」とまで言われていたほどでした。
そのため、万葉集には梅を詠んだ和歌が118首も掲載されています。
平安時代には梅干しの元となったとされる「梅の塩漬け」が薬として作られるようになり、日本最古の医学書「医心方」にも書かれています。
また梅干しは簡単にたくさん作れて保存が効くため、鎌倉・室町時代には武士が戦に持っていく栄養価の高い野戦糧食(レーション)としても用いられるようになりました。
薬として利用されていた梅干しが一般的に食べられるようになったのは江戸時代に入ってからで、江戸の町人たちから徐々に日本全国へと広まっていきました。
<梅の種の仁(核)を「天神様」と呼ぶのはなぜ?>
梅の種の中には、「仁」や「核」と呼ばれる白い部分があります。
この部分は「天神様」と呼ばれることがありますが、なぜそう呼ばれるようになったのでしょうか?
「天神様」と呼ばれるようになった由来は、学問の神様として有名な菅原道真にあります。
菅原道真とは平安時代の貴族です。
道真は学者の家に生まれましたが、学問に優れており政治的手腕にも長けていたため異例の出世をし、政治の最高機関の№2の役職である右大臣にまでなりました。
しかし、政敵の陰謀によって九州の太宰府に左遷されてしまいます。
そして道真は、疑いが晴れず都に戻れぬまま太宰府で亡くなってしまいました。
道真の死後、道真を陥れたとされる貴族たちが病気や雷に打たれたことにより次々と亡くなります。
当時の人たちはこれを道真の呪いだと考え、道真を天神とし太宰府天満宮と北野天満宮を建てました。
このことから、菅原道真は「天神様」と呼ばれるようになったのです。
梅は道真が子供のころから親しんできた花で、自分の屋敷に植えられていた梅をことさら愛でていました。
道真の屋敷の梅も道真を愛していて、道真が左遷された後、太宰府まで飛んで来たというお話が残っています。
この話から、梅は道真と縁の深い花となりました。
梅の種の仁が「天神様」と呼ばれるようになったのは、青梅や生梅の仁にはアミグダリンやプルナシンという腹痛や中毒(めまい・呼吸困難)を起こす恐れのある成分が含まれているため、「梅の種の中には天神様が宿っているから食べてはいけない」といって青梅や生梅の仁を食べないよう戒めていたのだとされています。
日本人は昔からクルミやドングリなど種の中身を食べてきたので、梅の仁を食べて中毒になる人も少なく無かったということなのでしょうね。
私も梅干しの天神様が大好きで、子供の頃たくさん食べていたら祖母や叔母に注意されたことを思い出しました。
因みに、梅干しの天神様は食べても大丈夫ですが、と大量に食べると中毒を起こす恐れがあるので注意してください。
<どうして「松竹梅」の「梅」が1番下のランクなの?>
よく、お寿司屋さんや仕出し屋さんなどのメニューで「松竹梅」のランク分けがされていますよね。
大抵のお店では、松が1番上で梅が1番下になっていますが、これはなぜなのでしょうか?
「松竹梅」がランクを表す言葉となったのは、お寿司屋さんから始まったといわれています。
お寿司屋さんでは、「特上・上・並」によって料金設定がされています。
昔、お客さんが1番安い「並」を注文する際に格好が悪くて注文しにくい、また1番高い「特上」を注文する際も見栄を張っているようで気が引けるというようなことがあったそうです。
そこでとあるお寿司屋さんが「特上・上・並」を「松・竹・梅」に置き換えたのが始まりとされています。
お客さんからは、注文がしやすくなったと評判になり、これが全国に広まっていったのだそうです。
因みに、「松竹梅」という言葉は中国でこの3つの植物が「歳寒の三友(さいかんのさんゆう)」という寒さに耐える植物として文人や画人に好まれてきたことに由来して生まれた言葉で、松・竹・梅にはもともと序列はありません。
また、日本では、平安時代に冬でも緑色の葉をつける松が不老長寿を思わせるとしておめでたいものとされるようになり、室町時代に節目に沿ってまっすぐ伸びる竹がおめでたいものとされるようになり、江戸時代に冬に花を咲かす梅が新春を彩るおめでたいものとされるようになりました。
時系列からこの3つをまとめた縁起物として「松竹梅」と呼ばれるようになったとされています。
▪まとめ
日本には、梅に関する伝説が色々ありますが、それだけ日本人に愛されてきた植物だということがよく分かりますよね。
因みに、後奈良天皇の逸話は、「梅雨」の語源にもなったといわれています。
梅の実には、疲労回復や食欲増進などの効果があるので、蒸し暑い梅雨の時期でもある梅の日には、梅干しや梅ジャムなどを食べて元気に梅雨を乗り切ってはいかがでしょうか。
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