「1月6日 ホーリー・スリー・キングス・デー」
■はじめに
日本ではキリスト教の信者でない限り「ホーリー・スリー・キングス・デー」という言葉を聞く機会はほとんどないので、筆者の友人たちも誰も知りませんでした。
ところが、我が家の同居人に尋ねてみたところ、当然のように「知ってるよ」との返答。
聞くところによれば、子どものころ通っていた教会でよく聞かされたということですが、話だけで特にイベントやセレモニーなどはなかったそうです。
今は奈良のお寺巡りが趣味なので、なぜ転びキリシタンになったのか興味津々ですが、それは今回のテーマとかけ離れてしまうので、いずれ何かでかかわりそうな記念日に譲ることにしましょう。
目 次
ホーリー・スリー・キングス・デーとは
12月25日に誕生したイエスの許に、東方から3人の王が祝福に訪れたのが1月6日で、この日に「神の子キリスト誕生」が公にされました。
そのためキリスト教(特にカトリック系)では1月6日を「ホーリー・スリー・キングス・デー」としてお祝いするそうで、またクリスマスの飾りつけはこの日に外されると言います。
クリスマスツリーやキャンドルのある新年は日本人にとっては違和感しかありませんね。
26日の夜が明ければ一挙にクリスマス仕様から正月仕様に様変わりしてしまう日本に「ホーリー・スリー・キングス・デー」の入り込む余地はないようです。
■ホーリー・スリー・キングス・デーの意味と由来
3人が祝福に訪れた話の出処は新約聖書の「マタイによる福音書」中にある「東方から来た3人の博士がユダヤの王(キリスト)の誕生を知らせる星を見た」という部分です。
そこでは「博士」と訳されますが、原典は「magi」とあって、これは天文学者あるいは占星術師を表すようで、後には「人知を超越した能力」に意味が変わったことで、英語の「magic」の語源になりました。
日本では「王」と訳されるより「東方の3博士」「東方の3賢人」とするのが一般的です。
■ホーリー・スリー・キングス・デーのイベント
カトリック教徒の多いスペインや南米、アメリカの一部ではパレードでお祝いしているそうで、ドイツでは3博士に扮した子どもたちが各家庭を訪れて、歌いながら慈善のための募金活動をしています。
ホーリー・スリー・キングス・デーの雑学
▽東方の3博士
ルネサンス期とその前後には、3博士のキリスト礼拝、祝福を描いた宗教画が数多く見られます。
福音書にはイエスがユダヤのベツレヘムで生まれ、東から3人が祝福に現れたとしか記述がないので、構図はまちまちですが、ヨーロッパ人、アジア人、アフリカ人であることは共通で、名前までついており、貢物がはっきりと描かれているのも共通しています。
もちろん、絵が描かれる前にこの共通部分は定説とされていたんでしょうが、どういう根拠なのか不思議です。
ヨーロッパから来た博士は「カスパール」という名前で、貢物の「黄金」はキリストの王権を象徴するとされています。
アジアからの博士は「メルキオール」で、貢物の「乳香」はキリストの神聖を意味しています。
アフリカの博士は黒人で、名前は「パルタザール」と言い、キリストの死を象徴する「没薬」(もつやく)を持っています。
▽黄金、乳香、没薬
希少価値の「黄金」は王の装身具として使われていたことから、王位の象徴とされていたので、黄金の貢物で「キリストが世界の王である」ことを宣言しました。
カンラン科の乳香樹の樹脂を固めたのが「乳香」で、乳香は祈りを象徴するとも言われ、乳香の貢物は「キリストが人々から祈りを捧げられる存在」であることを表すものでした。
「没薬」はミルラとも呼ばれ死者の体に防腐剤として塗られたもので、エジプトのミイラに使われていたことから「死」の象徴とされました。
黄金と乳香は納得ですが、没薬は釈然としません。
後にキリストが救世主として死ぬことを思えば「死」の象徴も納得できますが…。
■最後に
ともあれ、クリスマスプレゼントの慣習が生まれたのは、3博士が貢物を持参したことが由来だという説が有力です。
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