「6月22日 沖縄アマチュア無線の日」
■はじめに
だれもが携帯やスマホを持つ時代となりましたが、阪神淡路大震災の時には、ほとんどの通信インフラが途絶する中、アマチュア無線の連絡網が人命救助、情報伝達に貢献しました。
有線は災害や非常時にもろさを露呈することが多く、今、またアマチュア無線の存在が見直されています。
目 次
■沖縄アマチュア無線の日とは
電波法の一部改正によって沖縄でもハム(アマチュア無線家)が認められるようになり、1961(昭和36)年6月22日、那覇市在住の電電公社(当時)職員が、沖縄で初のアマチュア無線局を開局しました。
日本アマチュア無線連盟(JARL)沖縄支部では、これを記念して6月22日を「沖縄アマチュア無線の日」としています。
■沖縄アマチュア無線の日の意味と由来
太平洋戦争の敗戦によって、GHQの管理下に置かれた電波行政でしたが、日本の主権回復後の1952(昭和27)年7月29日、全国30人の申請者にアマチュア無線の予備免許が下りたことで、戦後のアマ無線再開が果たされることになりました。
しかし、沖縄本島をはじめ宮古列島、八重山諸島、奄美群島、トカラ列島は米国の支配下に置かれたままで、アマ無線の開放まであと9年を要することになり、1960年、琉球政府による電波法の一部改正を待って、ようやく沖縄に初の日本人局誕生の運びとなります。
米国の管理下にある琉球政府の同法改正には、ワシントンと交渉するなど、外国人ハムの多大な尽力があったそうです。
■沖縄アマチュア無線の日のイベント
「沖縄アマチュア無線の日」はその名の通り、沖縄支部だけの記念日で、JARL本部制定の「アマチュア無線の日」は7月29日となっています。
イベントは毎年、この記念日前後に沖縄で「ローカルミーティング」と銘打ったハムの集いを開催、沖縄上空を通過する衛星電波を捉えるデモンストレーションや、情報交換などで懇親を図っています。
■沖縄アマチュア無線の日の雑学
▽小学1年生が3級アマ無線試験に合格
2017年の第3級アマチュア無線技士の国家試験に、沖縄・泊小学校1年生(7歳)の女の子が合格する快挙があって、沖縄の日本アマチュア無線連盟の県支部は大いにその話題で盛り上がりました。
試験には小1ではまだ学習しない掛け算、割り算をはじめ、難解な回路図なども出題されますが、1級アマチュア無線技士の父親の指導を受けての合格となりました。
3年生までには2級に挑戦するのが次の目標だそうで、地球の反対側の人とお話したいと言っていました。
それじゃあ、英語の勉強もしなくちゃね。
▽映画「空と海の間に」
アマチュア無線が「主人公」とも言える有名な映画に「空と海の間に」があります。
1955(昭和30)年の古いモノクロのフランス映画ですが、ハム仲間では伝説的な作品で、無線関係の催しで上映されることもあるそうですが、残念ながらDVD化はされていません。
それではストーリーを簡単に。
北氷洋で操業する漁船の乗組員が原因不明の病気で次々に倒れますが、折悪しく船舶無線は故障していて、アマチュア無線家の船長が持ち込んでいた無線機の短波が、船員の命を救う唯一の手段でした。
この非常通信をキャッチしたのがアフリカの無線初心者でしたが、居合わせた医者が症状などからボツリヌス菌中毒と診断し、12時間以内に血清を打たないと助からないことが判明。
パリのパスツール研究所にしかない血清を漁船に届けるために、パリへ向けた通信を受けた少年、ミュンヘンの盲目のハム、ポーランド機の乗組員、ベルリンのアメリカ空軍軍曹、ソ連軍大尉、ノルウェー機が連帯して12人の命を救う物語です。
タイムリミットの迫る中、それぞれの連携にはアマチュア無線が重要な役割を果たしていることから、ハム仲間に伝説の名画と呼ばれているんですね。
■まとめ
ダイコン役者→下手→アマチュア、つまり英語でアマチュアを「ham」と言うことから、アマチュア無線家をハムと呼ぶようになった、というのが諸説ある中で一番有力なようです。
アマチュア無線は、あくまで純粋な趣味で行われるもので、仕事や金銭目的の運用は厳禁されています。
国境も年齢も職業も関係なく、全世界の人々と電波を通じて語り合えるアマチュア無線の魅力…というのはよくわかりますが、さて、語り合う言葉をどうしましょうか。
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