「7月1日 東海道本線全通記念日」
■はじめに
東京駅は西や南方面に向かう中長距離電車の始発駅であり、また終着駅だったというのは、筆者の単なる思い込みでしょうか。
私鉄、地下鉄ほどではないにせよ、JRも各路線間の相互乗り入れが盛んで、今や東京駅は東海道本線や常磐線、宇都宮線、高崎線直通電車の途中駅のひとつになってしまいました。
たしかに東京駅で乗り換えなくて済む便利さはありますが、東京に勤めるサラリーマンにはすこぶる不評です。
今までは東京駅で1本待てば座れたはずが、始発でなくなったことで立ちっぱなしで帰るしかありません。
それに加え、遅延が発生すると影響の範囲が広がるデメリットも目立っています。
目 次
東海道本線全通記念日とは
1889(明治22)年7月1日、新橋から神戸までの東海道本線が全通したことを記念して、同日は「東海道本線全通記念日」と呼ばれています。
その後、1914(大正3)年2月20日に東京駅が開業したことで、東海道本線の起点は東京駅に変更されました。
■東海道本線全通記念日の意味と由来
明治政府は東京・大阪間を結ぶ鉄道敷設を計画し、ルートはそれに先立って建設が決定されていた高崎線を利用するため、中山道経由で大阪に至る路線案が採用されました。
しかし、中山道経由は山間部が多く、工事の難航が予想されることから、工期が半分で済みそうな東海道経由に変更され、1889年に新橋・神戸間600.2kmを20時間余で結ぶ東海道本線が全通の運びとなりました。
■東海道本線全通記念日のイベント
東海道本線開業130周年を迎えた2019年の夏、これを記念してJR東日本横浜支社が保土ヶ谷、戸塚、藤沢、平塚、大磯、国府津の6駅でスタンプラリーを実施しました。
6駅のスタンプをそろえるとオリジナルマグネットシートがもらえたそうです。
そんなものでも鉄道マニアにとっては垂涎の的になるんでしょうか。
でも、保土ヶ谷駅は横須賀線のホームだけで、東海道線は停車できないんですけどね。
また2009年の120周年でもJR東日本が「583系で行く東海道全通120周年記念の旅」と称するイベント列車を東京~熱海間で走らせました。
100年以上経過しているので、さすがに周年記念は毎年というわけにはいかず、次は2029年になるでしょうか。
東海道本線全通記念日の雑学
▽かつて「大垣夜行」という長距離普通列車があった
筆者が東京へ通勤し始めたころ、「大垣夜行」と呼ばれる東海道線最長の普通列車が運行されていました。
24時少し前に東京駅を発車しますが、普通列車なので運賃だけで利用できる上、後に発売された「青春18のびのびきっぷ」の人気も相まって、発車の何時間も前からホームには若者たちが大勢の列を作っていました。
しかし、終電間際のこの電車はサラリーマンの遅い帰宅の足でもあり、毎晩ほぼ満員の状態で発車していましたね。
通勤客はほとんどが小田原までには降りてしまいますが、翌朝になれば豊橋から先は中京圏の通勤電車なので、同じような混雑が繰り返されたそうです。
違うのは通勤客が酔っぱらっていないことですね。
その後、1996(平成8)年にJR東海系の車両に変更され、全席指定となったことで、指定券発券の都合上「ムーンライトながら」の愛称がつくことになりますが、特急ではなく夜行快速列車だったので青春きっぷは有効のままでした。
しかし、指定券が必要になったことで通勤電車の役割は終了しましたが、青春18きっぷのシーズンは指定席確保が困難なほどの人気で、臨時列車も運転されていました。
人気に陰りがあるようには見えない「ムーンライトながら」ですが、行動様式の変化と車両の老朽化を理由に、JRは2021年春、この電車の運行を終了させています。
ブルートレインが次々と廃止され、「ムーンライトながら」もなくなった現在、唯一東海道本線を長駆する「サンライズ」にはいつまでも頑張ってほしいものです。
■最後に
ほとんどの車両がステンレス車体になり、さび止めの塗装が不要になったため、路線のシンボルカラーがあまり目立たない気がします。
筆者が20年間通勤に利用していた東海道線(通勤電車なので湘南電車と呼んでいました)はオレンジと緑で、これは沿線のミカンと緑の木々を象徴していると聞きました。
塗料の重さは車体軽量化の大敵ですが、銀色の電車ばかりでは味気ないようにも思います。
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