「3月10日 東海道・山陽新幹線全通記念日」
■はじめに
昔のことですが、夏休みに岡山の大学へ進学した友人のところへ遊びに行ったときは、まだ新幹線が新大阪までしか開通していませんでした。
その後、山陽新幹線は1972(昭和47)年に岡山まで延伸、1975年には博多まで全線が開通しています。
新幹線が好きな筆者は出張する際、新幹線で行けるところへは必ず新幹線を利用し、退職後も九州新幹線開業と聞けば乗らないわけにはいかぬとばかり、旅先に鹿児島を選ぶ新幹線ファンです。
果たして、北陸新幹線経由で新大阪まで行ける日は来るのでしょうか。
目 次
東海道・山陽新幹線全通記念日とは
1975年3月10日、山陽新幹線が全線開通したことで、東京~博多間1069.1kmが新幹線で結ばれることになりました。
これを記念し3月10日は「東海道・山陽新幹線全通記念日」とされています。
■東海道・山陽新幹線全通記念日の意味と由来
「東海道・山陽新幹線全通記念日」は1959(昭和34)年の東海道新幹線着工から16年で博多までが開通した記念日ですが、また戦前に計画された「弾丸列車」構想が約35年の年月を経て実を結んだ日でもあります。
昭和初期の1930年代初め、朝鮮半島、中国大陸・満州へ進出していた日本は、物資輸送の増強を図るため、東京から東海道、山陽道を経て下関を9時間で結び、さらにその先は全長200kmの海底トンネルで釜山を経てソウル、奉天経由で北京に達するという所要49時間の壮大な国際列車計画を立案しました。
これが「幻の」と言われた弾丸列車計画で、1942年に着工されたものの、戦局の悪化で翌年に工事は中断されることになります。
しかし、この計画で買収した用地やトンネルなどが東海道新幹線計画に転用されたことで、東海道新幹線515kmはわずか5年で完成させることができました。
■東海道・山陽新幹線全通記念日のイベント
かつては「日本の大動脈」と言われた東京~大阪~福岡を、1本の新幹線で行き来できる画期的な記念日も、その後の新幹線整備網の進捗で歴史の中に埋没しています。
それに分割民営化でそれぞれが違う会社でもあり、この記念日を祝う行事は今後も実施されないでしょう。
東海道・山陽新幹線全通記念日の雑学
▽名ばかりの新幹線計画…山陰新幹線
軌道幅でもめにもめた西九州新幹線(長崎新幹線)も、どうやら2022年秋には開通しそうで、未着工の敦賀~新大阪間もルート決定を待つばかりになっています。
その一方で山陰地方と四国は話ばかりが先行し、具体的な計画策定に進む兆しさえありません。
山陰新幹線ですが、1970年の全国新幹線鉄道整備法成立を受けて、山陰新幹線建設促進期成同盟会が発足したものの、50年間何の進捗もないままで、唯一終点になると思われる新下関駅に山陰新幹線用ホームのスペースが確保されているだけです。
最近になって再び誘致活動が始まり、沿線には鳥取や松江、米子といった観光都市もあり、自然災害時の山陽新幹線の代替ルートとしての機能を持つことをアピールしています。
しかし、建設費用は「兆」の単位になると目され、「単線新幹線」「狭軌新幹線」構想も出てはいますが、黒字化は困難との見方も支配的で、実現には大きな疑問符がついていますね。
▽名ばかりの新幹線計画…四国新幹線
四国財界が一丸となって誘致活動を展開し、2037年開業と具体的な数字目標を掲げている四国新幹線構想のほうが、山陰新幹線よりは形勢有利と見られていますが、それでもルートは未定で、まだまだ紆余曲折が予想されますね。
基本的に四国に渡るのは2ルートが想定され、ひとつは海底トンネルと淡路島を経由して徳島、高松、松山に至り、また海底トンネルで大分までつながるルートです。
また、途中で分岐して高知に至るルート設定もされています。
もうひとつは現在の瀬戸大橋には在来線と並行して新幹線用の空間が確保されていますが、高松駅の今の位置から新高松駅を設置する必要も考えられ、これをめぐって論争になると収拾がつかない恐れもありそうです。
おまけに、四国に新幹線が本当に必要なのかという根強い声もありますね。
■最後に
新幹線の開通は観光客には便利ですが、その陰で並行在来線が第3セクターとして存続したものの、経営環境の悪化で地元の人たちの不安は尽きません。
国は「整備新幹線の整備に関する基本方針」で「JRから分離された並行在来線は地域の足として維持することが基本」としていますが努力義務にすぎず、この約束は反故にされかかっているようです。
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