よく耳にする都道府県ですが、その違いについてご存知な方はそう多くはありません。
東京は「都」、北海道では「道」、大阪や京都は「府」m他の県は「県」というようになっていますよね。
自分の住んでいる都道府県はある程度わかりますが、なぜ自分のところが「都」や「道」ではないのか、という疑問を抱く人もいます。
そこで実際に都道府県のそれぞれの違いや定義・要件についてご紹介したいと思います。
目 次
都とは。定義や要件は?
まず最初にご紹介するのは東京とされている「都」についてです。
この都道府県の違いについては後述でもご紹介する廃藩置県が大きく関係しています。
廃藩置県は明治時代に行われた出来事であるのですが、その廃藩置県が行われる以前から今の東京都は重要地域として考えられていました。
このことについてよくわかるのが「今の東京都」は以前は「東京市」と「東京府」に分かれていたということです。
「都」「道」「府」「県」という名前になる前はほとんどの県が「市」という言葉で表されていました。
しかし、東京府と東京市が合併して「東京都」になったという点については他の県ではありませんでした。
東京がなぜ他の県や府とは違って東京都と呼ばれるのかというと、重要人物がいたという点や重要な建物があったという点です。
その名残が今でも残っており、東京都は「特別区」が存在します。
特別区と言うと東京の「23区」が特別区に当たります。
このような違いがあるのですが、今でこそ都道府県のそれぞれの「都」「道」「府」「県」の違いは存在せず、どこの地方自治体も同じような扱いを取るようになっています。
道とは。定義や要件はあるの?
次にご紹介するのは北海道についてです。
北海道は他の都道府県とは違って少し特殊になります。
というのも、北海道については今でこそ「道」と呼ばれていますが北海道は以前は蝦夷地と呼ばれていました。
蝦夷地から北海道になったのは明治2年の話にはなるのですが、北海道は蝦夷地として知られ、開拓使として11つの国に分かれていました。
北海道は植民地としての歴史も存在しますが、このような歴史があることによって都府県にはならなかったとされています。
11つの国はそれぞれ時間と共に合併して北海道町庁になり、今の北海道になりました。
もちろん先ほども挙げましたが今では北海道と他の都府県との違いは存在しません。
府とは。定義や要件はある?
次は京都府や大阪府についてご紹介したいと思います。
大阪府や京都府は他の県とは違い「2府」だけがついていますよね。
こちらも昔の歴史が大きく関係しているのですが、他の県に比べて力を持っていたという証拠でもあります。
今でこそ他の県とあまり変わりませんが、昔は大阪では天下の台所と呼ばれていたほどでもあると共に、京都は昔の拠点としても重要な場所で天皇が住んでいた場所でした。
このような力を大きく持っていたことから東京都同様に力がある場所として考えられていました。
そのため、実は今で東京都となっていますが、東京も東京府とがありました。
このような「東京府」「京都府」「大阪府」が重要な場所として考えられていました。
その影響もあって東京は先程もご紹介しましたように合併して東京となりましたが、大阪府と京都府はそのまま「府」という名前で残っています。
東京は日本の中心として考えられましたが、大阪府や京都府は日本の重要な場所として今も残っていると言っても過言ではないです。
もちろん今では東京都・大阪府・京都府が特別というわけではないのでご安心いただけたらと思います。
県とは。定義や要件はある?
次は県についてご紹介したいと思います。
日本では現在47都道府県存在しますよね。
その47都道府県のうち「県」は43ヶ所存在します。
このような県は大阪府や京都府・東京都などとは違いあまり昔は特別な力を持っていなかったことより平等に一つの国を「県」として取り扱うようになりました。
そのため、具体的に県同士の違いなどは存在せず、同じような扱いであると考えると間違いないです。
現在の都道府県になった経緯(廃藩置県)
最後は廃藩置県についてご紹介したいと思います。
廃藩置県は今回ご紹介した都道府県の名前の経緯について最も大きく関係している出来事と言っても過言ではないです。
廃藩置県は学生時代の歴史の授業などでも習うと思いますが、実際にあったのは明治4年7月14日です。
明治時代の動きの中でも大きな動きとされていたのですが、今もなおその影響は残っています。
廃藩置県は具体的にどのようなものかと言うと、今では都道府県として各地域の名前がついていますが、昔は藩という名前がついた地域がほとんどでした。
藩は各地に残る大名の存在を指していたのですが、この藩の力を失脚させるために廃藩置県が行われ、藩を廃止し、そのまま県として扱うようになりました。
その影響もあって廃藩置県が行われた当時は実は「302県」日本で存在していたとされています。
その中でも先程ご紹介した東京府・大阪府・京都府は力を持っていたため区別をするために「県」ではなく「府」が割り当てられたのですが、他の県はわかりにくいので徐々にまとまっていきました。
明治4年の頃には302県から72県となり、明治9年になると35県にまでまとまりました。
35県というと今の43県と比べてかなり少ないのですが、43県まで増えたのは統合されていった際に大きくなりすぎた場所があり、まとまりにくかったため分裂して各県になったとされています。
そのため、明治22年にようやく今ほとんどの方が知っている43県となり、現在の47都道府県という形になりました。
廃藩置県は明治4年に実施されたのですが、このような強い影響があり、現在もその影響は色濃く残っていると言えます。
ちなみに東京が力を持った理由もこの廃藩置県が大きく関係しており、藩を廃止したことによってその時力を持っていた藩知事を東京に済ませるようになりました。
このような重要人物を東京に集めることによって東京は力を持っている場所として特別な場所というようにしました。
廃藩置県をわかりやすくまとめると、昔の力を持った大名がいる藩の勢力を削ぐために藩廃止という形を実施し、藩知事を東京に移住・そのまま藩という名前を県に変えた行為ということがわかります。
廃藩置県を行うことによって力を持っている場所を一つとし、国を統一させようと考えていた行いと言えます。
もちろん途中でもご紹介しましたが、この廃藩置県は昔は力を削ぐために行われたのですが、今ではどの都道府県も同様の力があると考えられ、都道府県の違いは存在しないとされています。
「まとめ」都道府県の違いは昔の歴史が大きく関係
今回は都道府県の違いについてご紹介しましたがいかがだったでしょうか。
都道府県と言うと名前が違うことから違いが存在するのかと考えがちなのですが、今でこそ力関係はないものの、昔の歴史の名残であるということが言えます。
そのため、具体的にもっと知りたい方は自分の住んでいる都道府県の歴史について調べると更に具体的にわかるので、ぜひご参考いただけたらと思います。