「7月14日 フランス革命の日」
■はじめに
「バスティーユの襲撃」はジャン=ピエール・ウーエルの絵画が有名ですが、筆者は高校で世界史を勉強するまで恥ずかしながら、フランス国旗を掲げて群衆を先導する女性を描いたドラクロワの「民衆を率いる自由の女神」がフランス革命の絵だとばかり思っていました。
目 次
フランス革命の日とは
1789年7月14日、ブルボン王朝の身分制度と財政運営に怒るパリ市民が蜂起、政権の象徴と言われたバスティーユ牢獄を襲撃・占領しました。
これをきっかけに革命の機運が全国に広がったため、この日が「フランス革命」の始まりとされ、日本で勝手に言い出した記念日とは違い、1880年に祝日と決められたフランスの正式な記念日ですね。
■フランス革命の日の意味と由来
18世紀のブルボン王朝はアンシャン=レジームと呼ばれる封建的な旧制度で成り立ち、聖職者(第一身分)と貴族(第二身分)に非課税などの特権が集中して、人口の大部分を占める市民・農民(第三身分)の不満が高まっていました。
また国家財政もアメリカの独立戦争参戦や宮廷の浪費、貿易政策の失敗などによって窮迫したことで、経済力を高めつつあった第三身分の人たちが国民議会の開催を要求し、国王もそれを承認せざるを得ない事態となりました。
しかし、国民議会の自由主義的改革を恐れた国王が軍を動員して、改革の推進者を罷免し議会弾圧の挙に出ます。
当時のバスティーユ牢獄は王政に反対する人々を収容していたことで、専制政治の象徴と見られていたことから、議会弾圧に抗議して武装蜂起した市民の格好の標的となりました。
これがきっかけとなってフランス全土の農民が一斉に蜂起し、フランス革命が始まることになります。
バスティーユ牢獄の襲撃は、絶対王政から共和制政治へのターニングポイントであり、今日のフランスにとって忘れられない日になっています。
■フランス革命の日のイベント
「フランス革命の日」は「Quatorze Juillet」(キャトルズ・ジュイエ)と呼ばれる「建国記念日」でもあって、7月14日は毎年、祝賀行事が目白押しの1日になります。
午前中のハイライトは大統領の指揮の下、凱旋門からシャンゼリゼ通りを進んでコンコルド広場に至る軍事パレードと、戦闘機が編隊を組んで3色のトリコロールの煙を出しながらのアクロバット飛行、コンコルド広場に降り立つパラシュート部隊などが大人気で、パリ以外の各地でも騎馬隊や海軍のパレードなど見どころが満載です。
夜になるとダンスパーティーで盛り上がり、11時にエッフェル塔から打ち上げられる花火が圧巻で、パリで花火が見られるのはこの時だけだそうです。
フランス革命の日の雑学
▽そもそも「ブルジョワ」とは
お金持ちを「ブルジョワ」と皮肉交じりに言いますが、フランス語の「bourgeois」が語源で、中世のヨーロッパでは貴族と労働者・農民との間に位置する中産階級の商工業者を指していました。
その後、18世紀のフランス・ブルボン王朝下では、第三身分の市民(平民)を指すようになり、まだ資産家階級は意味していませんでしたが、フランス革命によって経済的に成功する市民が増えたことで、ブルジョワの定義は資産家へと変わって行きました。
「ブルジョワ革命」が「市民革命」と訳されることの違和感はこのためですね。
▽シャンゼリゼ通りに「旭日旗」
陸上自衛隊のパレード部隊10人が、2018年のフランス革命の日の記念パレードに参加し、旭日旗を掲げてシャンゼリゼ通りを行進しました。
これは日仏外交関係樹立160年を記念して招待されたもので、自衛隊がこの記念パレードに参加するのは3回目でした。
フランスの刑法には「ナチスなど反人類行為犯罪を犯した集団を連想させる装飾の着用や展示を禁止する」とあって、ハーケンクロイツ模様などは厳禁となっています。
一部の国からは旭日旗も国家犯罪の象徴だと非難されましたが、旭日旗はヨーロッパではあまり知られていないようで、自衛隊の行進に盛大な拍手が巻き起こりました。
■最後に
「フランス革命の日」を「パリ祭」と呼ぶのは日本だけだそうです。
これは1933(昭和8)年に日本で公開されたフランス映画「Quatorze Juillet」に配給会社が「巴里祭」という邦題をつけたからで、この映画がヒットしなければ、「パリ祭」という言葉もなかっただろうと思います。
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