▪はじめに
第二次世界大戦後ベトナムで起こった戦争に対して、世界各地で反戦運動が行われました。
日本でも多くの人が反戦運動に参加し、学生による暴動まで起きています。
今回は、このベトナム戦争反対運動に関する記念日やベトナム戦争などについて解説していきましょう。
目 次
国際反戦デーとは
国際反戦デーは、毎年10月21日にあります。
国際反戦デーは、1966年(昭和41年)10月21日に、日本労働組合総評議会(総評)が「ベトナム反戦統一ストライキ」を実施したことと、同じ日に全世界の反戦運動団体にベトナム戦争反対を呼びかけたことに因んで翌年に制定された記念日です。
この日本の反戦ストは、フランスの哲学者ジャン・ポール・サルトルに「世界の労働組合で初めてのベトナム反戦スト」と讃えられ、反戦ストはアメリカや西ヨーロッパなどにも広がっていきました。
因みにこの記念日は「国際」と名付けられていますが、日本独自の記念日です。
▪意味
国際反戦デーには、戦争反対と世界の平和を訴えるという行動日としての意味があります。
▪由来
国際反戦デーは、1966年(昭和41年)の10月21日に日本労働組合総評議会が、世界で初めて労働組合のストを行ったことと、世界中の反戦運動団体にベトナム戦争反対を呼びかけたことに由来して制定されました。
▪イベント
ベトナム戦争終結後、毎年国際反戦デーに因んだイベントが日本各地で行われています。
過去には、東京都・福岡県・北海道・大阪府・京都府・広島県・茨城県・富山県・徳島県・沖縄県などで、平和に関する講演会や集会、デモ行進などが行われました。
国際反戦デーに関する雑学
<ベトナム戦争とは?>
ベトナム戦争とは、インドシナ戦争後に南北に分裂したベトナムで発生した戦争のことです。
この戦争は「宣戦布告なき戦争」であったため、明確な開戦日は決まっていませんが、1955年(昭和20年)に始まったとされ、1975年(昭和50年)4月30日に終結しました。
そもそもベトナムがなぜ南北に分かれて戦争をした原因は、インドシナ戦争にありました。
第二次世界大戦前、ベトナムはフランスの植民地でした。
しかし、第二次世界大戦中フランスがドイツに降伏し、それまでフランス領だったベトナム・カンボジア・ラオスに日本軍が進駐します。(仏印進駐)
その後1945年(昭和15年)に第二次世界大戦が終結して敗戦した日本の軍隊は撤退、ベトナムのホー・チ・ミンは「ベトナム民主共和国」として独立しました。
しかしそこへ再びフランスがベトナムを支配しようとし、ベトナム南部にフランスの傀儡政権に国を作らせ、フランスと北ベトナムが争うインドシナ戦争が起こったのです。
インドシナ戦争は8年間にも及びましたが、北ベトナムの勝利で終結します。
終戦後、一時的にベトナムを南北に分けた状態から統一をしようとした北ベトナムでしたが、南ベトナムのゴ・ディン・ジエムはアメリカの支援の元「ベトナム共和国」という国を作りました。
こうしてベトナムは南北に分かれ、統一後の体制で決別しベトナム戦争が勃発したのです。
ベトナム戦争は実質「北ベトナム」対「南ベトナムとアメリカ」による戦争でした。
また、北ベトナムには旧ソ連や中国などの共産主義・社会主義国からの支援があり、ベトナム戦争はアメリカとソ連の冷戦の代理戦争とも呼ばれていました。
アメリカも最初は軍の一部を派遣しての支援のみだったのですが、1964年に北ベトナム軍がアメリカの駆逐艦に攻撃を仕掛けた「トンキン湾事件」以降、本格的に軍事介入していきます。
しかし、アメリカ軍はゲリラ兵に対抗する作戦として森林をなくし、食物を育てる土地も破壊する「枯葉剤」と呼ばれる様々な薬を散布したり、大規模な空爆を行ったりと兵士も民間人も区別なく攻撃はどんどんエスカレートしていきました。
にもかかわらず大した成果がなく、さらにトンキン湾事件はアメリカのねつ造であったことが発覚し、死者だけが増えていくこの戦争にアメリカ国内だけでなく世界各国で反感が強まっていったのです。
そして戦果は北ベトナムの方が優勢となっていき、1973年に和平のためのパリ協定が調印されてアメリカ軍が撤退し、1975年に南ベトナムが無条件降伏し北ベトナムに南ベトナムが併合する形でベトナムは南北統一化して戦争は終結しました。
<いわさきちひろとベトナム戦争>
ベトナム戦争に対する反戦運動は、日本各地でも行われました。
日本労働組合総評議会がストを行った翌年には、学生たちによる新宿駅での暴動「新宿騒乱事件」や、1972年に当時の横浜市長であった飛鳥田一雄市長がアメリカ軍の輸送車が道路交通法の重量制限違反だとして村雨橋の通貨を拒否し、市の職員や労働組合員などが通行を阻止したりといった事件も起きました。
そのような中で、画家であり絵本作家でもあったいわさきちひろは絵本を書くことでベトナムの平和を訴えました。
いわさきちひろはやわらかいタッチの水彩画で主に子供を描く、現代の私たちにも馴染みがある画家です。
ベトナム戦争中の1970年(昭和45年)に、ちひろはベトナムの子どもを支援する会が主催した反戦展示会に「ベトナムのこども 私たちの日本のこども 世界中のこどもみんなに平和と しあわせを」という言葉を添えた作品を出展しました。
また、ベトナム戦争をテーマにした絵本も2冊出版しています。
とくに2冊目の絵本「戦火のなかの子どもたち」は「私ができる唯一のやり方だから」と末期のがんで体調が悪いなか書き綴ったちひろ最後の絵本です。
それまでの愛らしくやわらかな子供らしい表情の絵とは全く違った暗い表情の子どもたちが描かれたその本は、戦争を体験していて誰よりも子供が好きでいつも平和な世の中になることを願ってきた彼女だったからこその作品ではないかと私は思います。
▪まとめ
私はベトナム戦争が終結した後に生まれましたが、枯葉剤の影響で下半身が繋がった状態で生まれた双子のベトちゃんドクちゃんが日本で手術を受けたことは連日の報道で見ていましたし、ベトナム戦争時の写真などもテレビや本で見て子供心に戦争の悲惨さを感じていました。
枯葉剤の影響は現在でも続いているそうで、日本の原爆とどうしてもリンクしてしまいます。
平和な時代に生まれ育った私たちこそ、世界各国で起こった戦争のことをきちんと知り、二度と戦争が起こらないようにしなければならないと思います。
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