「1月21日 ライバルが手を結ぶ日」
■はじめに
歴史ドラマで視聴率がいいのは、織田・豊臣・徳川の戦国時代と幕末だそうです。
いろんな脚色はあるにせよ、長州・桂小五郎、薩摩・西郷隆盛、坂本龍馬などの駆け引きには興味が尽きません。
目 次
ライバルが手を結ぶ日とは
1866(慶応2)年1月21日、宿敵だった薩摩藩と長州藩が倒幕を目的とした「薩長連合」を締結しました。
このため、同日は「ライバルが手を結ぶ日」だそうですが、いつ、だれが言い出したのかは不明で、半ば意地になって探してみましたがとうとうわからず仕舞いです。
■ライバルが手を結ぶ日の意味と由来
「ライバル」はすっかり日本語になりましたが、元をただせば英語の「rival」で、
その大元は「rivalis」というラテン語になります。
さらに「rivalis」をたどってみると、小川を意味するラテン語の「rivus」ですから、「rivalis」とは「川を争う者」ということになります。
■ライバルが手を結ぶ日のイベント
あるアニメサイトが「ライバルが手を結ぶ日」を記念して、20歳台までの男女を中心に「手を結んだライバル同士とは」というアンケートを実施したことがありました。
「NARUTO-ナルト-」「ドラゴンボール」「機動戦士ガンダム」中のキャラが上位を占めたそうですが、筆者はタイトルだけは耳にしたことがあっても、登場人物の名前はさっぱりです。
ライバルが手を結ぶ日の雑学
▽「ライバル」は「敵」ではない
「ライバル」の定義とは何でしょう?
ほとんどの辞書には競争相手、対抗者、好敵手とありますが、これではカタカナを漢字にしただけで説明がなく、「ライバル」が定義されているとは言えません。
筆者なりの解釈では、「お互いに切磋琢磨し合いながら、共通の目標達成のため、協力しあえる相手」がライバルなんだと思います。
目標が違っていれば、お互いがお互いの努力を妨げ、無にする関係となってしまい「敵」としか言いようがありません。
戦争の相手国をライバルなんて言いませんよね。
アニメの世界には疎いので、以前のAKB48で例えるなら、前田敦子と大島優子の関係がわかりやすいですね。
2人は「総選挙」でセンターのポジションを競いながらも、かつて目標としていた東京ドーム公演実現に向かい、AKB48を国民的アイドルと呼ばれるほどに盛り上げました。
多くのファンはこの2人を「ライバル」と呼びましたが「敵」と言う声は聞かれませんでした。
▽薩摩と長州はライバルだったと言えるのか
薩摩と長州が手を結び、倒幕・新政府樹立という共通目標に向かって協力し合ったのは事実ですが、それ以前の両藩を「ライバル」と呼ぶには釈然としないものがありますね。
そもそも黒船来航をきっかけとして政情が不安定になる中、長州藩は外国勢力を駆逐し、天皇中心の政治体制を目指す「尊王攘夷」を公然と旗印に掲げました。
一方の薩摩藩は外国勢力から日本を守るには朝廷と幕府、全国諸藩の協力が必須とする幕府の方針「公武合体」を支持、幕府は組織改革着手や孝明天皇の異母妹和宮を14代将軍徳川家茂の正室に迎えるなどの政策を実行しました。
この段階では両藩の考えが違うだけでしたが、外国に対する幕府の姿勢がなまぬるいと不満を抱えた長州が朝廷工作を開始、これに対し幕府が京都から長州勢を追放したことで、ついに幕府と長州の戦端が開くことになります。
これが有名な「蛤御門の変」で、長州は西郷隆盛率いる薩摩・会津連合軍に大敗し、朝敵とされたことで、長州と薩摩は決定的な敵対関係となりました。
これでは、とてもライバルとは言えませんね。
(長州藩と会津藩については当サイト「1月3日戊辰戦争開戦の日」参照)
■最後に
近年「薩長史観」なる言葉が注目されています。
歴史は勝者によって書き換えられると言われますが、薩長史観とは徳川から政権奪取したにすぎない薩長が都合よく作り上げた歴史を言い、今も「官軍」「賊軍」という言葉が当たり前のように授業でも使われています。
大政奉還で徳川慶喜が政権を手放した後、戊辰戦争を始める必要が本当にあったのかや、明治政府の「賊軍」藩への処遇など、「維新」の精神とは相容れない闇を見つめ直そうという動きがあるようです。
1月21日は何の日?誕生日の有名人や星座、花言葉・運勢・性格は
他にもおもしろい記念日がたくさんあります!