昔はお菓子なんて言うのは高級品でなかなか食べれないものでした。
甘くて美味しいなんていうのは贅沢で昔から重宝されていたそうです。
お菓子の中では洋菓子和菓子とあって、今はもうどちらも身近で食べずに育ってきたなんて言う人はほぼいません。
現代人には美味しくて身近な幸せな瞬間が記念日になっているのを知っていますか?
お菓子の日は毎月15日ですが、それ以外に和菓子の日なんていうのもあります。
今回はその和菓子の日について話したいと思います。
目 次
和菓子の日とは
和菓子の日は昭和54年に制定された記念日です。
元々明治時代まで盛んに行われていた、健康無病息災などをお願いする行事として存在したものを、後世に残して正しく伝えようという試みで制定されたわけになります。
現代では明治神宮で和菓子職人が集まり、無料で和菓子が配られたり、地方でイベントが行われたりもします。
和菓子の日はいつ?
和菓子の日は6月16日になります。
これには昔からの深い理由がありこの日に制定されました。
和菓子の日の由来や意味について
元となったのは西暦848年に仁明天皇が神様に疫病除けと健康招福を願いました。
供え物としてお菓子を6月16日に16にちなんだお菓子やお餅をあげたそうです。
その際元号を『嘉祥』としました。
言葉の意味としてとてもめでたいことということになります。
それ以降皇室や天皇家の中では6月16日にお菓子を収めたり通貨を収めるのがしきたりとなり、代々引き継いでいく行事となっていきます。
室町時代にもその様な行事が行われているということも記されており、慶長の豊臣秀吉が 嘉祥の日を恒例として行っており、天皇家だけではなく戦国大名にも影響を及ぼしているのが分かります。
江戸時代には大名や旗本に大広間でお菓子配ったりなどもしており、徐々に庶民的な行事と行き渡っていきます。
その庶民の間では『嘉祥喰』といい、16文でお餅やお菓子を買って食べるというしきたりも広まっています。
そして、その夜に16歳の袖止め(振り袖をやめて詰め袖にする)をするという「嘉祥縫」という風習があったりしました。
またそのほか6月16日に自分たちが採った梅の実でつくった梅干しを旅立ちの日に、食べると災難からのがれるという言い伝えがあり、「嘉祥の梅」という日もあり、大いに庶民の間でも流行っていくことになりました。
明治時代に入る前まではとても大事にされた行事でしたが明治に入り洋風化が進むにつれ廃れていきました。
それを復活させて広く親しみ増していこうと考えたのが和菓子の日となります。
嘉祥菓子とは
そんな伝統のあるものですから「嘉祥菓子」という、その日のためにあるお菓子もあります。
昔は16つのお菓子などを用意して健康などを祈ったそうですが、あまりにも量が多かったのか、そんな余裕が無かったのかは分かりませんが1と6を足して7つのお菓子を食べていたそうです。
現代ではほぼ売りに出されているところはありませんが、虎屋さんは日にちを限定して売り出しています。
時代や身分によって食べていたものは違ったりこだわりがあったり無かったりするようですので、現代ではこんな物を食べるとは決まっていません。
ちなみに江戸時代から御用達があったとらやさんでは
・武蔵野(湿粉)
・桔梗餅(外郎)
・浅路飴(求肥)
・源氏ませ
・伊賀餅
・富岡の里(餡子入り物)
・味噌松風(焼き菓子)
の7つがあります。
まとめ
以上和菓子の日についてでした。
実際見てみると約1200年前から行われている伝統行事であり、普通の祭りより長いかもしれません。
そんな古い伝統が身近あるとはとても驚きでした。
またその日には何を食べても良いそうで七草粥より簡単で気楽に食べれるのではないかと思います。
皆さんも厄払いを兼ねて昔ながらの行事に触れてみてはいかがでしょうか?和菓子の美味しさも再確認できるかもしれません。
6月16日は何の日?誕生日の有名人や星座、花言葉・運勢・性格は
他にもおもしろい記念日がたくさんあります!