元服とは皆さんなにかご存知ですか?
戦国時代の古文書や歴史を調べる際には出てくる機会も多いのですが、何のことか具体的にわかっていない人もじつは多いです。
戦国時代で使われることが多いのですが、実は奈良時代からも存在するので、元服とは実際にどのようなものなのかについてご紹介していきたいと思います。
目 次
元服とは
元服と書いて「げんぷく」「げんぶく」と読むのですが、まず元服とは何なのかについてご紹介したいと思います。
元服とは成人の儀式でもあり、男の子と女の子によって多少の年齢の差が存在します。
男の子の場合だと12歳から16歳程度とされ、女の子の場合だと18歳から20歳とされています。
さらに、歴史上によっては20歳近くも差があるので、この点においてはその歴史上の誤差があると言えます。
元服とは通過儀礼でもあり、今で言うところと成人式と同じようなイメージと考えると間違いないかと思います。
もちろん今の成人式とは全く違うのですが、その点については後述でご紹介します。
元服は歴史でいつまでの行事だった
元服は歴史上出てくることも多いのですが、いつくらいまでの行事だったのか気になる人も多いと思います。
この元服については実は奈良時代以降から存在するとされています。
奈良時代の頃からあったのですが、実は元服は今もなお残っているのではないのかとも考えられています。
というのも、岐阜県などでも昔元服を行っていたところもあるとされています。
そのため、元服は国の制度でもないので地域によっては今もなお元服に近い儀式があると言われています。
ただ、一般的に元服があまり見られなくなったのが明治時代・明治維新近くです。
このぐらいからあまり見かけなくなったとされていますので、元服が歴史上でいつまでだったのかと言うと、明治維新近くまでだったと考えると的外れではないかと思います。
元服は何歳から?
元服についてご紹介しましたが、何歳からについては途中でもご紹介したように、時代によって多少のズレが存在します。
12歳以降からが一般的なのですが、歴史上では平均すると15歳か16歳前後に元服をする人が多かったと言えます。
元服の戦国時代はどうだった?
次は戦国時代の元服についてご紹介したいと思います。
戦国時代の元服が最も有名なことが多いのですが、戦国時代でもやはり元服の年齢は多少異なります。
特に有名な武将でご紹介すると、伊達政宗は11歳で元服、上杉謙信だと14歳で元服、武田信玄だと16歳で元服したとされています。
このことからもわかるように、戦国時代でも元服する年は有名武将でもそれぞれ異なったようです。
さらに、最近になって有名になっている真田幸村については元服についての資料はあまりなく、20歳以降で元服したのではないかと考えられています。
戦国時代の歴史物を呼ぶ際には幼少期と武将になった際に呼び名が異なると思いますが、この元服を行ってから呼び名・名前が変わることが多いです。
そのため、名前が変わる場合は元服が行われたと思うと間違いないです。
元服の儀式とは
次は元服とは実際にどのようなことをするのかについてご紹介したいと思います。
こちらもやはり時代によって元服の儀式の行い方も変わるのですが、主に元服は子供の髪型から変えて大人の髪型にし、そこから冠をかぶったとされています。
さらに、地域によってはふんどしを履くのも元服の儀式の一つともされています。
武家の場合は冠も烏帽子・公家の女の子の場合だと裳着(もぎ)と呼ばれる衣装を着る場合や、厚化粧にお歯黒を行う場合もありました。
このように、元服の儀式と言っても生まれや、地域、時代によって儀式の変化は様々あったとされています。
元服は現代の成人式とどう違う
元服は現在の成人式とかなり似ているということをご紹介しましたが、今の成人式とはやはり異なることが多いです。
今の成人式では20歳になる子どもたちが公民館などに集まり、祝電・祝言を頂いてお祝いをすることが多いのですが、昔ではさきほどご紹介したように冠をかぶることが多かったです。
さらに、元服では昔では新しい名を授かることが多かったので、このような点は現代の成人式とは大きく異なると思います。
しかし、元服はなくなってはいないとご紹介しましたが、昔の元服が現代の成人式に当たると考えるとあまり間違いないかと思います。
元服の女性は何をしていた?
次は元服の女性について更に詳しくご紹介したいと思います。
元服の女性ではさきほどご紹介したお歯黒などが特に有名なのですが、お歯黒の他にも引眉や丸髷を行っていたとされています。
お歯黒以外にも引眉や丸髷を行っていない場合は半元服と表されています。
この半元服の習慣は実も現在でも残っており、現在では舞妓さんなどにこの習慣が引き継がれているとされています。
そのため、元服・半元服の習慣を見たいと感じる方は舞妓さんを見に行くと昔の半元服の習慣・イメージが湧きやすいかと思います。
元服の髪型はどのような髪型だった?
元服の髪型について次はご紹介したと思います。
元服では途中でもご紹介したように、子供の髪型から大人の髪型へと変わりました。
元服での髪型はさらに冠をかぶりやすいように眉を結ったとされています。
そのため、元服では今の成人式のように髪型を整えて元服の儀式を迎えていたとされています。
元服の服装はどのような服装だった?
次は元服の際の服装についてご紹介したいと思います。
元服の際の服装ももちろん正装ではあったのですが、元服の際の服装は和服を着て正装をされていたとされています。
そのため、途中でも触れましたが、現在の舞妓さんのように綺麗な着物を着て儀式を迎えていました。
このことからもわかるように、元服は神聖な儀式であったことが伺えます。
この元服は時代とともに簡略化され、次第に簡単なものへと変化していきました。
元服の帽子は?
次は元服の際の帽子についてご紹介したいと思います。
元服の帽子については途中でもご紹介しましたが、冠を被ります。
武家の場合は烏帽子親をかぶり、その地位を示していたとされています。
元服で名前が変わっていた!
次にご紹介するのは元服での名前の変化です。
こちらも途中でもご紹介しましたが、元服を迎えることによって新しい名前を呼称、授かったとされています。
この元服での名前の変化は戦国時代が最も有名ですよね。
有名な戦国武将でも元服を迎えて今でもよく知られる名前と変わっているので、元服は昔にとっても大切な大人になるための儀式であったことが伺えます。
元服する前の名前
次は元服の際の前の名前についてご紹介したいと思います。
名前が変わることでも最も有名な戦国時代の武将について簡単にご紹介したいと思います。
梵天丸 → 伊達政宗
勝千代 → 武田信玄
又四郎 → 島津義弘
徳寿丸 → 佐竹義宣
猿夜叉丸 → 浅井長政
虎千代 → 上杉謙信
吉法師 → 織田信長
竹千代 → 徳川家康
日吉丸 → 豊臣秀吉
このようになっています。
歴史物を読む際にも登場してくることが多い名前だと思いますが、元服を行ってからは今でも多くの方が知られる名前へと解明したとされています。
「まとめ」元服は神聖な儀式
今回は元服についてご紹介しましたがいかがだったでしょうか。
元服と言うと、今の成人式のイメージを持つ人も多いですが、あながち間違いではありません。
そのため、元服と言う言葉を見る機会がある場合は昔の大切な儀式であったと認識すると間違いないので、ぜひご参考いただけたらと思います。