■はじめに
5月というと、4月と同じように様々な新しい生活が始まり、その疲れがあるところにゴールデンウィークが来て学校、仕事に行きたくなくなるようないわゆる五月病が有名ですね。
ストレスによる病気が多い月でもあります。
そんな5月の12日は、「ナイチンゲールデー」という記念日になっています。
目 次
■ナイチンゲールデーとは
ナイチンゲールデーは、毎年5月12日にあります。
制定したのは赤十字社という団体です。
制定された年というのはわかりませんでした。
■意味
その名の通り、ナイチンゲールの功績を称え、看護の重要性を再認識するような目的作られた記念日であると言えます。
「ナイチンゲール」という人名自体は非常に有名ですが、どんな活躍をしたのか簡単に説明を入れたいと思います。
本名は、フローレンス・ナイチンゲールと言い、学生時代は病院付き学園施設であるカイゼルスベルト学園に滞在していたそうです。
その当時、看護婦は病院で病人の世話をするただの召使として扱われていて、専門知識が必要ない職業であると考えられていた時代でした。
ナイチンゲールの滞在していたカイゼルスベルト学園では当時としては珍しく、看護婦に対しても教育が行われていました。
その後、ナイチンゲールは看護婦を志し、ロンドンの病院に就職します。
のちに、婦人病院長となったナイチンゲールはイギリス各地の病院の状況をしらべ、専門的教育を受けた看護婦の必要性を訴えたそうです。
1854年、クリミア戦争が勃発し、前線における負傷兵の扱いがとても悲惨な状況になっていることが報じられ、ナイチンゲールも自ら看護婦団として従軍する決意をします。
兵舎病院は極めて不衛生であり、官僚的な縦割り行政の弊害からもあり必要な物資が供給されていなく、さらに現地の軍医長官等からは、縦割り行政を盾に看護婦団の従軍を拒否されるということがあったそうです。
ナイチンゲールらは、病院の便所掃除がどこの部署の管轄にもなっていないことに目を付けて、まずは便所掃除をやることで病院内に割り込んでいったそうです。
その後、ナイチンゲールはスクタリ野戦病院の総責任者として活躍しました。
ナイチンゲールは物資の供給不足が悲惨な状況を生み出していると考え、そこに力を入れていたそうです。
しかし、着任後は死亡率が上昇(死亡率:42%)してしまったそうです。
その後、「衛生委員会」の査察を受け、ナイチンゲールによって衛生状態の改善の必要性を報告、命令が行われ、死亡率が5%にまで下がったのです。
のちに、兵舎病院での死者は大多数が傷ではなく、病院内の不衛生によって蔓延する感染症によるものだったと判明しました。
当時、ナイチンゲールは夜回りを欠かさなかったことから「ランプの貴婦人」や、その働きぶりから「クリミアの天使」などと呼ばれたようです。
看護師を「白衣の天使」と呼ぶのはナイチンゲールに由来するそうです。
クリミア戦争終結後、当時の報告書を読みながら病院の状況分析を行い、数々の統計資料を作成し、改革のために作られた各種委員会に提出したそうです。
このような活動もあり、イギリスではナイチンゲールを統計学の先駆者としています。
■由来
1820年5月12日がナイチンゲールの生誕日だったことから、毎年5月12日をナイチンゲールデーに制定したと言われています。
国際看護師協会が制定した「国際看護師の日」や、厚生省・日本看護協会などが制定した「看護の日」もこのナイチンゲールデーに合わせて毎年5月12日になっています。
■イベント
現在、5月12日に行われるナイチンゲールデーに関する定期的なイベントはないようです。
しかし、日本では、ナイチンゲールデーに沿って制定された看護の日・看護週間にちなんだイベントが全国各地で開催されているようです。
商業施設などでは、血管年齢測定や骨密度測定などの健康チェックができる「保健室」を開いたり、妊婦やお年寄りがどのように感じながら生活しているのか体験できるコーナーを開催したりしているそうです。
医療・福祉施設では、主に中高生を対象に施設見学や簡単な看護体験を通して看護の仕事を知ってもらうイベントを行っているそうです。
■まとめ
今回は、ナイチンゲールデーについて紹介させていただきました。
看護婦であるということは日本においても認知度が高いと思いますが統計学などにも長けていたというのは知りませんでしたね。
関連するイベント等を通してナイチンゲールのような「白衣の天使」を目指す人が増えて充実した医療が安定して受けられる世界になっていってほしいですね。
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