「6月19日 元号の日」
■はじめに
2019年4月1日、平成に代わる新元号「令和」が公表されました。
日本最古の歌集「万葉集」第5巻にある梅の花を詠った32首の序文が出典で、
「初春の令月にして、気淑く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は佩後の香を薫らす」
という部分で、
「しょしゅんのれいげつにして、きよくやわらぎ、うめはきょうぜんのこをひらき、らんははいごのこうをかおらす」
と読みます(現代かなづかいに変換)
意味は、「初春の良い月に、さわやかな風がやわらかく吹いている。その中で、梅の花は美しい女性が鏡の前でおしろいをつけているかのように白く美しく咲いて、宴の席は高貴な人が身につける香り袋の香りのように薫っている」というものです。
ちなみに「佩」とは、古代の装身具で、腰帯とそれに吊り下げた玉(ぎょく)や金属器などの総称です。
目 次
元号の日とは
645(大化元)年6月19日、当時の権力者の蘇我氏を倒した中大兄皇子(後の天智天皇)が、天皇を中心とした政治改革を断行、このときに「大化」という日本初の元号を定めました。
詳しくは知らなくても、言葉だけはだれでも知っている「大化の改新」というやつですね。
このことから、天皇があってこその元号と考えられ、後々の紛糾の原因にもなります。
この6月19日に由来した「元号の日」ですが、いつからこう言われ出したのかは定かではありません。
■元号の日の意味と由来
元号の条件としては、漢字2文字で国民の理想にふさわしい良い意味を持ち、書きやすく、読みやすく、これまで使用されておらず、俗用されていないものとされています。
従来の出典は、書経や易経、史記など中国の古典でしたが、今回は日本の古典からの案も出ているようです。
大変なのは俗用されていないという条件で、つまり店や会社の名前、地名で使われていないということです。
前回、平成が有力候補として残った際、当時はPC検索というわけにはいかない時代で、全て手作業で固有名詞を、特に中華料理屋を入念にチェックしたそうですが、それでも正式発表後、岐阜県に「平成」という地域の存在が判明しました。
ここが一躍観光スポットになったのは言うまでもありません。
また、いくら良い意味で読み書きしやすくても、元気元年、幸福2年とかいうチープなものは採用されませんし、JRの新駅やマスコットキャラのように公募というのもありませんね。
明治、大正、昭和は「一世一元の制」で天皇存命中に元号を変えることはありませんでしたが、それ以前は、飢饉や災害、戦争があったからとか、江戸城が火事になったからとかで、ぽんぽん元号が出ては消え、消えては出るの繰り返しで、ひとつの元号平均はわずか5年です。
平成は247番目の元号で、今まで登場した漢字ベスト10は、
- 永(29) ②元(27) ③天(23) ④治(21) ⑤応(20)
⑥ 和(19) ⑥文(19) ⑥長(19) ⑥正(19) ⑩安(17)
(カッコ内は回数)
「天」は「〇天」のように全てが頭に使われ、逆に「和」は18回が「〇和」です。
書類の生年にマルをつける都合上、今回はMTSHの頭文字は不可とされているので、新元号に「天〇」はありませんね。
逆に1回だけの登場は、「雲」「吉」「昭」「国」「成」などの約28文字。
なぜ「約」がつくかと言えば、筆者がエクセル並べ替えで数えた非公式データなので。
昭和の「昭」は他にはなじみのない漢字で、「あきらか」という意味ですが、辞書にも昭示、昭彰、昭著しか漢熟語がなく、日常で使う言葉はありません。
「百姓昭明、協和萬邦」が由来で、国民の平和と世界各国の生存繁栄ということらしいです。
「昭、成」と初出が続きましたね。
平成までは中国の古典が出典で、今回は初めて国書からですが、天皇をはじめ貴族、防人、農民までもが詠んだ万葉集からの出典は、日本の伝統、文化を象徴するものだとして評価もされています。
「令和」は248番目の元号で、20回目の使用となる「和」は⑤位になりました(カッコ内は回数)。
「令」は初めて使われた漢字で、「命令」といった言葉が浮かびますが、本来は「めでたい」という意味があるそうです。
「昭、成、令」と初出が続きましたね。
英BBCは「令和」の意味を「order and harmony」と訳して紹介していました。
新元号のテレビ中継は史上2回目で、前回同様「絵」になる演出の準備に相当気を使ったそうですが、NHKはちょっとドジを踏んで、官房長官がかざした「令和」の墨書が手話のワイプ画像に隠れて、3、4秒映りませんでした。
夜のニュースは斜めからの画像で、平成のときのようなバッチリした映像としては残せませんでした。
■元号の日のイベント
特に「元号の日」としてのイベントは聞いたことがありませんし、これはないほうがいいと思います。
成り立ちを考えれば、元号は天皇制や国家思想に行きつく話になって、余計な騒ぎになるだけです。
現在、元号のある国は日本だけで、なくても不便とは思いませんが、元号は日本人の「情緒」でもあるので、難しい話にせず、そっとしておくのが一番です。
元号の日の雑学
▽元号の危機
敗戦で天皇が現人神から象徴に変わり、天皇が元号を管理する統治者でなくなった以上、元号は主権在民、民主主義の精神に反するとして、キリスト教や左派の議員、有識者から元号廃止の声が高まりました。
しかし、元号は独立国の象徴であり、象徴としての天皇、占領下の憲法には違反せず、国民になじんだ長年の歴史を尊重すべきとの反論も出て紛糾しましたが、サンフランシスコ条約へ紛糾が移ったことで、元号問題は立ち消えになりました。
やがて1979(昭和54)年に元号法が成立しましたが、敗戦からその間は法的根拠のない「昭和」時代となります。
今回の生前退位は、国民感情を考慮した特例法ですが、これも伝統やしきたりを過剰に重視する勢力の抵抗で、すんなりと決まったわけではありません。
▽光文事件
大正天皇崩御の際、東京日日新聞(現毎日新聞)が新元号「光文」をスクープしましたが、発表は「昭和」で大誤報になってしまいました。
しかし、後に当時の宮内省関係者が、スクープによって急遽、元号が光文から昭和に変更となったと証言しました。
それに対し、枢密院議長の日記には昭和が最有力で、光文は候補になかったと記されており、今となっては真相は藪から出て来そうもありません。
光文事件の当事者、現毎日新聞には64年を経た後日談があり、小渕恵三官房長官の有名な「平成」発表の35分前に、毎日は「平成」をキャッチしていました。
号外発行を迫る官邸キャップと政治部長に対し、編集局長にはその勇気がなく、スクープは幻と消え、光文事件のリベンジとはなりませんでした。
話がそれますが、当時の平成発表会見は今なお映像が流され、小渕氏は歴史上の人物のようです。
発表会見は官房長官がやる慣行ですが、国民の記憶と後世に残る映像なので、首相自ら行うといったウワサも流れていますね。
さて、どうなることでしょう。
▽墨書「平成」
新元号のテレビ中継は史上初、しかも生放送なので、失敗せずに「絵」になる演出の準備に相当気を使ったそうです。
口頭で「平成」と言うだけでは味気ないため文字が必要で、官房長官がかざした「平成」と墨で書かれた文字は、秘密裡の作業で外部の有名書家に依頼もできず、総理府の人事課辞令専門官が書いたものです。一番高級な越前和紙の奉書紙に書かれた平成の墨書は現在、国立公文書館で保管されています。
■まとめ
「令和」には、「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという意味が込められ、悠久の歴史と香り高き文化、四季折々の美しい自然、こうした日本を次代へ引き継ぐ願いが込められている」との首相談話が出されています。
元号は、「天子が空間とともに時間をも支配する」という中国の思想に基づいていると言われますが、そんな理屈よりも、人生をいくつかの元号と過ごす日本人として、何に決まろうと快く受け入れ、いつの間にかなじんだものになるのでしょうね。
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