「4月16日 ボーイズビーアンビシャスデー」
■はじめに
今は少年でも世の中や現実をよく知っているせいで、「大志」を抱くことができなくなっているのではと危惧しています。
目 次
ボーイズビーアンビシャスデーとは
札幌農学校(現北海道大学農学部)で教鞭を執っていたアメリカ人教育者、ウィリアム・スミス・クラーク博士(1826~1886)が帰国間際の1877(明治10)年4月16日、学生たちに「Boys, be ambitious」という言葉を残しました。
かの有名な「少年よ、大志を抱け」ですね。
これを記念したのが「ボーイズビーアンビシャスデー」です。
■ボーイズビーアンビシャスデーの意味と由来
日本の西洋文明化を目指した明治政府は、新島襄の推薦を受け、新島の留学時代の恩師であるクラーク博士を、新設される札幌農学校の教頭として招聘しました。
折しも当時のアメリカは建国から100年が過ぎ、フロンティア精神が消えつつあったことに宗教的な理想を持つクラーク博士は失望しており、日本の若者に新たな希望を抱いたのかもしれません。
当時の日本は戊辰戦争の直後で、若者の心もすさんでおり、これを見た博士は「紳士たれ」と口癖のように言っていたと伝えられています。
博士はマサチューセッツ農科大学の学長職を辞して日本に来るつもりでしたが、慰留され1年間の休職扱いとなったため、札幌農学校での在任期間は1876年9月から翌年4月までの短いもので、教え子もたったの16人でした。
札幌・羊ヶ丘展望台にあるクラーク博士像が有名ですが、これは博士の来日100周年を記念して建てられたもので、ここで「少年よ、大志を抱け」と言ったわけではありません。
ロケーションとしては絵になるんですが…。
でも、馬に乗って颯爽と去って行ったというのは事実らしいです。
■ボーイズビーアンビシャスデーのイベント
この日のイベントではありませんが、クラーク博士像のある羊ヶ丘展望台では、訪れた人が夢や希望を「大志の誓い」として用紙に書き、博士像の台座にあるポストに投函すれば、札幌観光協会が保存して、いつの日にか再訪した際に自分の誓いを見ることができるそうです。
「子どもを明るく素直な娘に育てたい」というほほえましい誓いがある一方で、「絶対に5kgやせるぞ!」なんて小じんまりした「大志」もあるそうです。
ボーイズビーアンビシャスデーの雑学
▽夢と大志はどう違う?
この「少年よ、大志を抱け」という言葉を引用する以外に、「大志」の2文字を使う機会はあまりありません。
辞書には「将来に対する遠大な希望」とあるためか、あまりに大げさな印象があって、ふだん使うには恥ずかしさも感じてしまいます。
確かに、大志は夢や希望に違いありませんが、夢とか希望は自分自身のもので、大志とはそれをはるかに越えて、他人や社会に尽くし、貢献したいという想いを言います。
幕末の「志士」はまさに自分を顧みず、世を良く変えようとした人たちでした。
▽博士の言葉が有名になるのは17年経ってから
「少年よ、大志を抱け」とクラーク博士が言った翌日から、いきなりこの言葉が有名になったわけではありませんでした。
博士との別れに立ち会ったはずの内村鑑三や新渡戸稲造の文章にも記述はなく、博士の死後、アメリカの新聞に寄稿した内村の記述の中にも見られませんでした。
この言葉が世に知られるようになったのは、博士が帰国した17年後に農学校の機関誌に初めて掲載されたことがきっかけです。
また、別の教え子は「そのようなニュアンスの言葉は聞いた」と話すにとどまっていることから、実際はもう少し軽い口調の言葉だったとの解釈もあります。
「Boys, be ambitious」の後に、言葉は「Like this old man」と続いたそうで、「私のような年寄りでもできるのだから、若い人はもっと高く志を持ちなさい」という軽い口調だったとも言われています。
■最後に
博士の言葉が後世に伝えられているのは、ひとえに「大志」だったからです。
「少年よ、大きな夢を持ちなさい」では名言とはなり得なかったでしょう。
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