「10月7~9日 長崎くんちの日」
■はじめに
高校の修学旅行、筆者は長崎で龍踊り(じゃおどり)を見たおぼろげな記憶があります。
おぼろげというのは、疲れていて早く宿に行きたいという思いと、はるか昔の記憶だからですね。
もちろん、「長崎くんち」ではなく、あれは観光用の常設イベントだったんでしょう。
龍踊りの由来も知らず、中国伝来の儀式か何かとばかり思っていてろくに見もしませんでした。
今になって申し訳ないような気になっていますね。
目 次
長崎くんちの日とは
長崎総鎮守の鎮西大社諏訪神社の例大祭「長崎くんち」は、毎年10月7日から9日までの3日間行われます。
この祭りは1634(寛永11)年の旧暦9月9日に始められたことから、9日→「くんち」と呼ばれるようになりました。
■長崎くんちの日の意味と由来
長崎は1571(元亀2)年に貿易港として開港したことで、ポルトガルやスペインなどの宣教師の布教活動によってキリスト教信者が増え、切支丹大名までが現れるに及んだため、秀吉はバテレン追放令を発しました。
しかし、これに反発した信徒と寺院・神社間の「宗教戦争」は激化し、収束の気配がないため、江戸幕府は切支丹対策として長崎に諏訪神社を勧請し総鎮守としました。
続いて長崎奉行が諏訪祭礼を支援、推奨したばかりでなく、参加を強制し、従わなければ厳罰という強い政策によって、「長崎くんち」は諏訪神社の秋の大祭として定着、創意工夫を凝らして今日に至っています。
■長崎くんちの日のイベント
「長崎くんち」自体がイベントでもあるので、代表的な演じ物(だしもの)を紹介しておきましょう。
まず代表格は10人がかりで、総重量200kgの龍に玉を追わせる「龍踊り」で、150kgの傘鉾(かさほこ)を美しく回す円舞、神輿をかついで神社の階段を駈け上がる「太鼓山」、鯨や小舟、納屋の形をした曳き物で鯨の追い込みを再現する「鯨の潮吹き」など、多彩な演じ物で観衆を楽しませています。
長崎らしくポルトガルやオランダ、中国文化の影響も色濃く出ているようです。
この一連の踊りは「長崎くんちの奉納踊」として国の重要無形民俗文化財に指定されています。
長崎くんちの日の雑学
▽祭りの発祥
かつて日本の祭りは神様や祖先を近くにお迎えする儀式として、小さな社(やしろ)で広く公開しない小規模なものだったらしく、その意味では「祀り」と書いたほうがふさわしいようです。
しかし、中世になって交通や交易が発達すると、信仰とは関係ない見物人が多くなったために、儀式を美しく見せる「祭り」が生まれ、飾り神輿や花火が登場しました。
飾り神輿が神社の形なのは神様の分霊を表し、花火は鎮魂のために作られ、やがて各地で祭りの華やかさを競うようになりました。
「祭り」の定義もあいまいですが、もし神社やお寺の月次祭、自治体の市民祭りまでカウントすれば年間60万にもなるという話もありますね。
▽諸説ふんぷんの3大祭り
日本人は記念日が大好きですが、それに負けず劣らずランキングにも目がないようで、どんなものにも「3大○○○」「ベスト○○○」を決めないと気が済まないんじゃないかと思えるほどですね。
ランキングが定着したのは江戸時代で、「温泉番付」「料理番付」「芝居番付」など、数多くの番付が作られました。
中には「仇討ち番付」なるものまであったそうで、番付ができるほど仇討ちがあったんでしょうか。
しかし、ランキングは数値によるもの以外は基準があいまいで、時代やお国柄によって評価はまちまちです。
もちろん「祭り」も例外ではなく、「○○3大祭り」とする形が多いようで、「日本3大祭り」「関東3大祭り」「博多3大祭り」など地域によるもの、「3大祇園祭り」「3大奇祭」「3大盆踊り」など演じ物による区分けなど、名前を見るだけで楽しくなるほど多彩です。
日本3大祭りと言えば、一般的には「祇園祭」「天神祭」「神田祭」とされるようですが、これも身びいき、お国自慢のせいか諸説ふんぷんで、長崎では京都「加茂祭り」、大阪「天満宮祭り」と並んで「長崎くんち」を日本3大祭りと言うそうです。
また「長崎くんち」は「博多おくんち」「唐津くんち」とともに「3大くんち」とも呼ばれています。
■最後に
390年近くにもなる長い歴史を持つ「長崎くんち」は、長崎に原爆が投下された1945(昭和20)年でも、被爆からわずか59日目の10月7日には開催されましたが、今回のコロナ禍のために2020年は中止となり、2021年も神事だけを執り行うことになりました。
「長崎くんち」の中止は昭和天皇の病状が悪化した1988(昭和63)年以来のことでした。
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