▪はじめに
マヨネーズとは、卵と酢と食用油をベースに調味料や香辛料などを混ぜ合わせたソースです。
マヨネーズは世界中で人気が高く、日本の食卓にも欠かせないソースの1つとなっています。
そこで今回は、マヨネーズに関する記念日やマヨネーズの歴史などについて紹介していきましょう。
目 次
マヨネーズの日とは
マヨネーズの日は、毎年3月1日にあります。
この記念日は、マヨネーズをはじめ、ドレッシングやジャムなど数多くの食品を製造販売しているキユーピー株式会社により2015年(平成27年)3月に制定されたものです。
▪意味
マヨネーズの日は、おいしく、栄養があり、安心して食べられ、さまざまな料理に活用できるマヨネーズをアピールすることを目的としています。
▪由来
マヨネーズの日が3月1日にあるのは、キユーピー株式会社が1925年(大正14年)3月に日本で初めてマヨネーズを製造販売したことと、日本初の「1」に由来しています。
▪イベント
マヨネーズの日を制定したキューピー株式会社では、毎年マヨネーズの日に合わせてイベントを行っています。
コロナ禍前には、東京都調布市にあるキユーピー株式会社の見学施設「マヨテラス」で見学会やマヨネーズの歴史について学んだりマヨネーズを使った料理を教えたりするイベントが開催されていましたが、近年はオンラインによるイベントに変わっています。
過去には、3月1日にZoomやウェビナーを利用してマヨネーズの歴史や広がりなどを解説したり、「マヨテラス」を中心に全国4工場(茨城県五霞工場・愛知県挙母工場・兵庫県神戸工場・佐賀県鳥栖工場)をオンラインでつないで各工場の特色などを紹介するオンライン工場見学を行ったりしました。
興味のある方はキユーピー株式会社の公式サイトをチェックしてみてください。
マヨネーズの雑学
<マヨネーズの歴史>
現在、世界中で使われているマヨネーズですが、いつ頃誕生したのでしょうか。
マヨネーズの発祥については諸説ありますが、もっとも有力なのは18世紀半ばのスペイン・メノルカ島が発祥地であるという説です。
18世紀半ば、フランスのリシリュー公爵が当時イギリス領だったメノルカ島に進撃した際に、この島の港町マオンにある料理屋に立ち寄り、そこで出された肉料理に添えられていたソースがマヨネーズのルーツだといわれています。
卵黄と塩とオリーブオイルを混ぜて作られたこのソースをとても気に入ったリシリュー公爵は、ソースをフランスに持ち帰り「マオンネーズ(マオン風ソース)」と呼んで紹介しました。
リシリュー公爵が持ち帰ったマオンネーズ(英語でマヨネーズ)はパリで大人気となり、その後フランス料理のソースとして定着していきます。
マヨネーズが現在のような卵黄と植物油と酢を使ったものとなったのは、フランス料理の父と呼ばれるアントナン・カレームが自身の著書「パリ風料理の本」で卵黄と植物油と酢を混ぜ合わせたソースをマヨネーズと呼ぶと載せたからだとされています。
アントナン・カレームは様々な国の皇帝のシェフを務め、その際にマヨネーズもヨーロッパ各地に広まっていきました。
マヨネーズの発祥についてはその他にも、フランス南西部のバスク地方にあるバイヨンヌという町で古くから愛されていた「バヨネーズ」と呼ばれるソースが発祥であるという説や、古代エジプトで食べられていたオリーブオイルと卵を混ぜ合わせたソースが発祥とされる説などがあります。
ヨーロッパに広まったマヨネーズは、1830年代にアメリカへも伝わりました。
伝わった当初は上流階級のみが食べられる高級なソースでしたが、1905年にドイツ移民のリチャード・ヘルマンが開いた総菜屋でリチャードの妻が作った自家製マヨネーズを使ったサラダが人気となり、常連客の自家製マヨネーズが欲しいといわれ自家製マヨネーズを量り売りするようになりました。
マヨネーズは人気商品となり、リチャードは1913年にマヨネーズ工場を建設します。
その後、マヨネーズは一般家庭でも気軽に使えるソースとしてアメリカ全土、そして世界中へ広まっていきました。
<日本で初めてマヨネーズを販売したのはキユーピー株式会社の創業者>
マヨネーズが日本に伝わったのは大正時代で、後のキユーピー株式会社の創立者となる中島董一郎(なかしまとういちろう)氏が伝えたといわれています。
1912年(大正元年)、中島董一郎氏は缶詰の勉強をするためにアメリカに留学していました。
当時のアメリカでは、マヨネーズを使ったサラダが日常的に食べられていました。
中島氏はアメリカ滞在中、マヨネーズを使ったポテトサラダがとても美味しく栄養価も高いことに注目します。
中島氏は、日本人の栄養不足の改善や体格の向上を願い、アメリカのマヨネーズと比べて約2倍の卵黄を使ったマヨネーズを作って販売しようと考えました。
帰国後、中島氏は1918年(大正7年)に中島商店(現・中島董商店)を設立しカニ缶やサバ缶などの缶詰の販売を始め、翌年の1919年(大正8年)に調味料を中心とした食品工業株式会社(現・キユーピー株式会社)を設立します。
そして、1925年(大正14年)3月1日、ついに念願のマヨネーズの販売を始めました。
しかし、当時日本では生野菜を食べる習慣がなかったことやマヨネーズの価格が高かったことなどからあまり売れませんでした。
そこで中島氏は中島商店のカニやホタテの缶詰にマヨネーズをつけて食べる試食会や積極的な宣伝を行いました。
その甲斐あって、マヨネーズは徐々に日本に広まっていきます。
第二次世界大戦中は材料の入手が困難になり製造が中止となりましたが、戦後に製造は再開され、手に取りやすい価格設定にしたことや他のメーカーからも発売されるようになったことで、マヨネーズは日本中に浸透していったのです。
▪まとめ
マヨネーズは世界各地で少しずつ材料や味が違っていて、日本のマヨネーズは卵黄を多く使ったものや全卵を使ったものが主流となっています。
それは、日本にマヨネーズを伝えた中島董一郎氏の日本人の栄養状態を改善にしたいという思いから生まれたものです。
現代の日本では、マヨネーズの食べ過ぎは体に良くないとされていますが、抗酸化作用を持つビタミンEや血液凝固や骨の形成を促進するビタミンK、動脈硬化や高血圧の予防効果があるとされるレシチンなどが多く含まれていますし、野菜が苦手な人もマヨネーズがあれば食べられるという人もいるので、上手に取り入れてみてください。
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