▪はじめに
コロンブスは、誰もが知る大航海時代にアメリカ大陸を発見したイタリアの冒険家です。
コロンブスがアメリカ大陸を発見したことにより世界の歴史は大きく動きました。
そして、コロンブスがアメリカ大陸発見後400年以上経ったのちに、アメリカに住むイタリア人たちが同郷人であるコロンブスを誇り、彼がアメリカ大陸を発見した10月12日を祝うようになったことがきっかけとなって誕生したのがコロンブス・デーという祝日です。
目 次
▪コロンブス・デーとは
コロンブス・デーとはアメリカの祝日の1つで、毎年10月の第2月曜日にあります。
この記念日は、イタリアの探検家クリストファー・コロンブスが1492年10月12日にアメリカ大陸に近い海域に到達及び新大陸に到着したことに因んで制定されたもので、毎年日にちは変わります。
アメリカ合衆国以外でもこの日を記念日としている国が多くあり、ラテンアメリカでは「民族の日」、ベリーズやウルグアイでは「アメリカの日」、バハマでは「発見の日」、アルゼンチンでは「文化の違いを尊重する日」、イタリアでは「クリストファー・コロンブスのナショナルデー」「クリストファー・コロンブス建国記念日」などの記念日があります。
▪意味
コロンブス・デーは、1492年10月12日にクリストファー・コロンブスが、それまで開拓されていなかった大西洋を西に横切る西廻り航路によってアメリカ大陸を発見したことをお祝いする日とされています。
▪由来
コロンブス・デーは、1492年10月12日にコロンブスが新大陸とされるアメリカ大陸の近くの島を発見し上陸したことに由来して制定された記念日です。
しかし、1970年(昭和45年)に制定された月曜休日統一法により、10月の第2月曜日がコロンブス・デーとなりました。
▪イベント
アメリカのニューヨークでは、毎年コロンブス・デーに大規模な「コロンブスデーパレード」が行われます。
コロンブスパレードでは、海兵隊や警察官、カトリック系の高校や大学の学生など35,000人もの人たちがパレードに参加し、何万人もの観客が訪れ、テレビ中継もされます。
パレードは11時半からスタートし、5番街の44ストリートから72ストリートに向かって行われます。
コロンブスに関する雑学
<コロンブス・デーを反対する人たちもいる?>
クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸を発見したことを祝うために制定されたコロンブス・デーですが、じつはこの祝日を反対する人たちもたくさんいます。
その理由は、コロンブスがアメリカ大陸に昔から住んでいた先住民たちに対して残虐な行為を行ったからです。
コロンブスは、航海の支援をしてくれたスペイン君主のフェルナンド2世とその妻でカスティーリャ王国の君主イザベル1世に、航海を成功させる条件として、真珠や宝石、金、銀、香辛料などの価値ある品々を持ち帰るという約束をしていました。
しかし、これらの価値あるものを充分発見できなかったコロンブスは、アメリカ大陸の先住民数百人を奴隷としてイザベル1世に献上したのです。
コロンブスが発見した土地の住民はスペインの民であると考えていたイザベル1世はコロンブスの贈り物に大変驚き、奴隷として送られてきた人々を送り返しました。
しかし、コロンブスはその後も先住民たちを奴隷として売買したり、大量虐殺をしたり、先住民たちの所有物を略奪したりしました。
コロンブスは、2回目の航海の時、最初に発見し仮説入植地としていたイスパニョーラ島に2人の弟と数人の乗組員を残して入植地の統治をまかせましたが、弟たちは劣悪な統治を行っていたため入植者たちが反乱を起こしてしまいます。
あまりに酷い状況にスペインはコロンブスを逮捕し、すべての地位を剝奪されました。
逮捕後、コロンブスは病でこの世を去りますが、コロンブスが行った先住民への虐殺弾圧はその後10年間欧州人が行った殺戮の見本となり、コロンブスは大きな負の遺産も残したことになったのです。
このような負の遺産から、コロンブス・デーに反対するアメリカ人も多く、アラスカ、ハワイ、オレゴン、カリフォルニア州バークリーなどの幾つかの州や都市ではコロンブス・デーを祝日としないか「先住民の日」と置き換えて先住民の文化などに関するお祝いを行う日としています。
<コロンブスの卵の意味と由来>
コロンブスといえば、有名なのが「コロンブスの卵」という言葉ですよね。
みなさんも1度はどこかで聞いたことがあると思います。
しかし、言葉は知っていても意味や由来を知らない方も少なくないのではないでしょうか?
そこで今回は、「コロンブスの卵」について詳しく紹介していきましょう。
「コロンブスの卵」は、「一見簡単そうに見えたり誰でもできそうだったりすることも、前例がないことを最初に行うことは難しい」という意味の言葉です。
また、「誰も気づかなかった盲点」という意味もあります。
「コロンブスの卵」には2つの由来となるエピソードがあります。
1つは、コロンブスが新大陸を発見した後に行われた、スペインの貴族のパーティでの逸話です。
このパーティでコロンブスは、「スペインには優れた才能ある人が沢山いるので、あなたでなくとも新大陸は発見できた」と批判的なことを言われてしまいました。
そこでコロンブスは、置いてあった卵を机の上に立ててみるよう彼らに指示します。
しかし、彼らは誰一人卵を立てることができませんでした。
ところが、コロンブスは卵の尻を少し割って、いとも簡単に卵を立てることを成功させました。
コロンブスは卵を立てたことで、どんなに簡単なことでも最初に方法を思いついて成功させるのは難しく重要であるということをその場にいた人たちに説いたという逸話です。
2つ目の由来は、「ブルネレスキの卵」というエピソードです。
コロンブスと同じ時代に活躍したイタリアの建築家フィリップ・ブルネレスキがフィレンツェの教会を建設するコンペに参加した際に、自分の設計図を公開しないで「この教会の建設は自分に任せて欲しい」と言いました。
しかし、他の建築家たちから猛反対を受けたブルネレスキは、「卵を大理石の上に立てられた建築家に任せよう」と提案します。
その場にいた建築家たちは卵を立てることに挑戦しますが誰も立てられませんでした。
しかし、ブルネレスキは卵の底を少し割って、卵を大理石の上に立てたのです。
他の建築家たちは「そんな方法知らなかった。知っていればできたのに」と批判しましたが、ブルネレスキは「その通り!最初にするのは最も困難なことだ。もし、私の自分の設計図を見せたらあなた達は真似していたでしょう。だから私は、設計図を見せなかったのだ」と言い、このコンペを勝ち取ったという逸話です。
この2つのエピソード、実はブルネレスキの方が早くて1420年の話とされています。
一方、コロンブスの逸話はイタリアのジロラモ・ベンゾーニという人物が1565年に発行した「新世界史」に収録されたもので、ベンゾーニがブルネレスキの卵の話を使った作り話であるという説もあります。
日本で「コロンブスの卵」が使われるようになったのは、1921年(大正10年)に発行された尋常小学校の国語の教科書に掲載されたことがきっかけとなりました。
教科書には、「コロンブスの卵」という言葉の意味とともに、この言葉の由来となったエピソードも紹介されていたので、この時代の人たちは子供のころから馴染みがあったようです。
▪まとめ
コロンブスは、英雄として紹介されることが多いですが、一方はその残虐性が問題視される人物でもありました。
コロンブスが発見したアメリカでも賛否両論あり、地域によってさまざまなコロンブス・デーの捉え方、過ごし方があります。
日本ではあまり馴染みのない記念日ですが、この日はコロンブスや人権問題などについてより深く勉強してみてはいかがでしょうか。
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