「6月29日 佃煮の日」
■はじめに
イベント開催業務で超多忙が極まると、たいてい世話人が昼食や夕食の幕の内弁当を差し入れてくれるので、その都度スタッフ一同、歓喜の雄叫びなんですが、よく考えてみると、これは外に行かせないための作戦かもといった気がしました。
いきなり余談から始めてしまいましたが、このお弁当の片隅やご飯の上には必ずひとつかみの佃煮があって、おかずとしては末席の脇役といったところでしょうか。
しかし、不思議なことに、ないと見た目が寂しいんですね。
家での食事にはほとんど登場しませんし、なんとも思いませんが、お弁当にないとどこか殺風景に見えるのは、一体どうしてなんでしょう。
目 次
■佃煮の日とは
佃煮発祥の地と言われる東京・佃島の守り神、住吉神社の創建は1646年(正保3年)6月29日で、全国調理食品工業協同組合が、魚介類や昆布、豆など種類が多く、栄養豊富な佃煮をPRすべく、2004(平成16)年にこの創建を記念して6月29日を「佃煮の日」と制定しました。
■佃煮の日の意味と由来
もともと佃煮とは、漁師が売り物にならない小魚を醤油と砂糖で煮た保存食だったと言われていますが、発祥は大阪の佃村だという説もあります。
大阪・佃村と東京・佃島、果たしてなにか関係があるのでしょうか…と大げさに問いかけるほどの話ではありませんし、これは有名な逸話で知らない人のほうが少ないかもしれません。
もとはと言えば、明智光秀が本能寺に攻め込んだことが発端で、大阪・堺に居合わせた織田信長の盟友、徳川家康の命も危うくなって船で岡崎に逃げ帰る途中、佃村の漁民から船と後に佃煮と呼ばれるようになる保存食の提供を受けたことで生き延びた家康は、やがて江戸で天下を握ることになりました。
豊臣を倒し、天下人となった家康は助けてもらった佃村の漁師たちを江戸に呼び寄せ、漁業に便利な江戸湾に干拓と自由使用の許可を与えたことから、この干拓地を郷里の佃村にちなんで「佃島」と名付け、同様に住吉神社を創建しました。
やがて、佃島の創意工夫から小魚だけではなく白魚や小エビなどの佃煮も作られるようになって、保存食から大名の食膳にも上るような出世を遂げました。
■佃煮の日のイベント
さすがに協同組合が旗を振っているだけあって、号令一下、全国の商店街、食品店、佃煮の老舗で大特売やプレゼントなど、佃煮の日をアピールしています。
■佃煮の日の雑学
▽高級品から日常品へ
江戸時代初期、大名の参勤交代によって全国に広がって行った佃煮ですが、このころはまだ高級な食品で、庶民の食卓にまでは届かなかったようです。
しかし、保存ができて栄養豊富、手間も要らずに食べられ、しかも材料が豊富に獲れる佃煮は、明治に入っての日清、日露戦争では貴重な軍用食となり、大量生産の道が大きく開かれることになります。
そして、戦争が終わり故郷に戻る兵士たちによって、戦地ですっかり舌になじんだ佃煮はさらに全国に広まって、庶民の日常食へと変貌しました。
▽多岐に渡る佃煮の種類
日本各地に広まった佃煮は、佃島では獲れない各地の材料を使い、郷土色豊かな名産品としてさらなる進化を遂げています。
昆布や小エビ、白魚といった佃島から始まった水産佃煮ですが、今はさんま、いわし、のり、わかめの他、赤貝、はまぐり、しじみといった貝類など、その種類は多岐に渡っています。
カツオやまぐろの角煮も佃煮だったんですね。
また、製法や材料によって、わらび、ごぼう、メンマなどの農産佃煮、でんぶ、甘露煮などの種類に分かれていますが、イナゴやカイコ、ざざむし、蜂の子などの昆虫佃煮もあるそうで、これはちょっと…。
■まとめ
高級贈答品から家庭でのおにぎりの具まで、佃煮は言わばピンキリです。
先日、酒好きの旧友にと思い、佃煮の詰め合わせを買いにデパートへ出かけましたが、見栄えのするものは1万数千円の値段も珍しくありませんでした。
白魚紅梅煮、大蛤、生むき中浅利、貝柱しぐれ煮、松茸昆布の5種計730gで16200円。
まあ、喜んでくれるならと奮発しましたが、帰りにスーパーで買った自分用のわさび海苔の佃煮は300円でした。
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