「9月20日 バスの日」
■はじめに
2017年1月、ローカル路線バスを乗り継ぎ、2泊3日で目的地を目指すTVの人気番組が惜しまれつつ終了しました。
これはレギュラー出演の蛭子能収さんが高齢で、県境ではバス路線がつながらず、徒歩での峠越えが困難になったためですが、同時に地方の路線バスが次々に廃止され、ルート設定ができなくなったことも大きいと発表されています。
また、観光バスは運転手の不足、過重労働、不当な低料金設定などのために、悲惨な事故が続くなど社会問題にもなっています。
目 次
バスの日とは
1903(明治36)年9月20日、日本初の乗り合いバスが京都市内を走ったことを記念して、日本バス協会が1987(昭和62)年に9月20日を「バスの日」に制定しました。
「バスの日」は「いつでも、どこでも、みんなのバス」をテーマとしており、別途「観光バス記念日」を12月15日に設定していることから、乗り合いバス登場を記念したものですね。
■バスの日の意味と由来
京都でのバス運行は、ライバルの乗合馬車屋からの妨害、車両故障の頻発などのため、本格的な運行は大正時代に入ってからで、関東大震災後の東京で、被害を受けた路面電車に代わっての活躍が、バス時代到来へ大きな弾みとなりました。
昭和時代に入りトロリーバスや国産車導入で、より発展したバス事業も、敗戦後の燃料、資材不足で苦難の時期を迎えますが、その後の高度成長時代の需要拡大で国産ディーゼルバスの普及や車両の大型化が進み、ワンマンカーによって車掌不足も解決、輸送人員は昭和25年からの10年間で13倍の成長を遂げています。
また、高速道路網やバスターミナルの整備、車両の快適性向上などで、長距離高速バス、深夜バスなどが次々に投入され、コンピュータの管理システムによる利用者への情報提供の向上を実現する一方、地方の小規模自治体では住民の足としてコミュニティバスの運行も始まりました。
しかし、少子高齢化による影響は、地方の人口減となって顕著に表れ、そのため採算性の悪化から地方の路線バス交通網が次々に寸断される事態となっています。
■バスの日のイベント
毎年の「バスの日」に合わせ、日本バス協会が音頭をとって、各地区のバス協会や事業者主催のイベントが全国各地で開催されています。
いろいろなバス展示・試乗会、日帰りバスツアーなどを定番企画としてアピールしているところも多く、安全な利用の啓発のため各自治体や警察も全面的に協力しています。
東京都交通局は「バスまつり2018in晴海」を晴海客船ターミナルで開催、バス各社のマスコットキャラがクイズやぬり絵、撮影会、抽選会などで盛り上げ、バス運行ダイヤ作成などの体験会も人気となりました。
バスの日の雑学
▽所要6時間半の日本最長路線バス
全長167km、165の停留所、6時間半という最長所要時間。
高速道路を使わない路線バスとしては、日本一の長距離路線バスが奈良交通の「八木新宮特急バス」で、近鉄大和八木駅とJR紀勢本線の新宮駅間を1日3往復しています。
途中、3か所で10~20分の休憩があって、有名な谷瀬のつり橋を見学することもできるそうですが、6時間半の連続乗車は相当な体力が必要です。
「日本一」が有名となって、バスマニアの「乗り通し客」も現れるようになりましたが、それでも1便に4、5人で、地元の利用者を合わせても、20人の乗客数を超えることはないそうです。
もちろんこれでは黒字になるはずもなく、今は地元自治体の補助金で継続されていますが、奈良交通はできれば運行を打ち切りたい意向のようです。
▽一夜にして右側から左側通行へ
沖縄本土復帰の6年後、1978(昭和53)年7月30日、占領下の右側通行から本土同様、「自動車の左側通行」へと変更されました。
これはジュネーブ条約の「一国一交通制度」のためで、新たな信号や標識を設置した上で当日までカバーしておくなど、周到な準備をしたものの、一夜にしての変更は困難を極めました。
中でも、バスの乗降口を一斉に右側から左にする改修は不可能で、沖縄県内のバス1300両の更新は多額の国庫補助と財政投融資で賄われました。
お払い箱となった右ハンドルバスの一部は改造されましたが、残りの多くは中国などへ輸出されています。
■まとめ
1度終了となった太川陽介さんと蛭子さんの「ローカル路線バス乗り継ぎ旅」が復活するようです。
今度は1泊2日の行程に変更されたので、これなら県境をまたぐ回数も減りますが、以前にも増して、廃止路線で戸惑うことになるかもしれません。
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