「12月11日 ユニセフ創立記念日」
■はじめに
戦後の1949(昭和24)年、ユニセフの日本に対する援助が開始され、東京五輪開催の1964年までの15年間、給食の脱脂粉乳や原綿、医薬品などの提供が続けられていました。
脱脂粉乳なんて若い人は知らないと思いますが、今はスキムミルクと名前を変え、格段に向上した品質で市販されています。
しかし、当時の脱脂粉乳の味はひどいもので、牛乳嫌いの原因にもなりました。
目 次
ユニセフ創立記念日とは
2次大戦後、飢餓や病気などで命の危険にさらされている世界中の子どもたちを助けようと、ポーランドのルドウィク・ラフマンが国連に救済機関設立を提案、1946(昭和21)年12月11日、国連第1回総会で「国際連合国際児童緊急基金」(United Nations International Children’s Emergency Fund)の創設が決定されました。
この創設を記念して、12月11日を「ユニセフ創立記念日」としていますが、国連の国際デーには登録がなく、記念日好きの日本独自の記念日だと思われ、制定の経緯も定かではありません。
■ユニセフ創立記念日の意味と由来
その後の1953年、活動範囲が拡大するにつれ、基金の名称から「International」と「Emergency」が外され「国際連合児童基金」と変更されましたが、英語の頭文字からの「UNICEF」という略称は変わらずに引き継がれています。
ユニセフは「すべての子どもの権利が実現される世界をめざして」とのビジョンを掲げ、個人や企業、団体からの募金や各国政府の拠出金を資金として、190の国と地域で活動しています。
■ユニセフ創立記念日のイベント
募金と公金を活動資金とする以上、記念日を祝うイベントにお金を使えるはずもなく、イベントはすべて募金活動のための企画となり、12月11日の日付にこだわりはないようです。
ユニセフ創立記念日の雑学
▽日米で大きく隔たる寄付文化
ユニセフの活動資金は募金、つまり寄付によって支えられていますが、日本には寄付文化が根付いていないと言われており、寄付後進国とされているようです。
日本の個人寄付総額は7756億円、これに対しアメリカは30兆6664億円で、日本の40倍の規模になっています。
次いで、1人当たりの年間平均寄付額は日本が2万7013円で、アメリカは12万7050円と日本の約5倍、また直近1か月以内に寄付をした人は日本23%、アメリカ63%となっており、アメリカが寄付先進国とは言え、日本の数字は著しく見劣りしています(数字は2016年統計、1ドル110円換算)。
では、日米でどうしてこれほどの差が出ているのか、その原因は寄付を推奨するキリスト教文化に対し、日本人は無宗教が多いからだと言われています。
しかし、日本にも昔から寄付文化は存在していました。
飛鳥時代に仏教とともに「托鉢文化」も伝来、奈良時代には治水やインフラ整備のために仏教僧が寄付集めに奔走したとの記録も残されています。
また、江戸時代の大阪商人は「きたなく貯めてきれいに使う」という精神で社会に貢献し、現代では歳末助け合いや赤い羽根などが風物詩にもなっています。
▽「日本ユニセフ協会」と「ユニセフ東京事務所」の違い
ユニセフの支部は支援を必要とする国に置かれるため、日本をはじめ先進国にはユニセフ支部がありません。
しかし一方で、先進国内には民間から募金を集める組織が必要で、このためユニセフ本体から独立した国内委員会が存在しています。
日本における国内委員会が「日本ユニセフ協会」で、民間からの寄付を受ける窓口になっていますが、ユニセフ本部と協定で結ばれてはいても、組織としては民間団体になります。
ユニセフの広報や協会の活動経費として、一定の額を寄付金から使うことが認められていますが、これが誤解を生んで誹謗中傷の対象になっていることは残念でなりません。
もう一方の「ユニセフ東京事務所」は、世界に7カ所開設されている地域事務所のひとつで、国連組織であるユニセフの代表として、アジア太平洋地域の先進国政府と拠出金などの交渉を担っています。
おおまかに言えば、民間相手と政府相手の違いなので、2つの組織は密接に連携しており、競争・競合関係にあるわけではありません。
■最後に
かつては援助を受けていた日本も、今や世界のユニセフ活動の重責を担うようになりましたが、あの東日本大震災では半世紀ぶりにユニセフから緊急援助を受け、被災地の子どもに多くの支援が届けられました。
この出来事以降、日本人の寄付活動が広がったと言われています。
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