▪はじめに
みなさんは喫茶店によく行きますか?
ひと昔前はファストフード店やファミレスなどの発展により喫茶店を利用する人が少なくなっていましたが、最近では有名な老舗喫茶店の全国展開などにより喫茶店ブームが再来していますよね。
今回は、そんな喫茶店に関する記念日や雑学などについてご紹介します!
目 次
喫茶店の日とは
喫茶店の日は、毎年4月13日にあります。
喫茶店の日は、1888年(明治21年)の4月13日に東京の上野で日本で初めての喫茶店「可否茶館(コーヒーさかん)」が開業したことに因んで制定された記念日です。
その時出されていたコーヒーの値段は1杯1銭5厘、ミルク入りだと2銭、お菓子付きだと3銭だったそうです。
当時はそばが1杯2銭だったので庶民には少し贅沢な価格だったかもしれませんね。
▪意味
喫茶店の日には、日本初の喫茶店が開業した日を記念するという意味があります。
▪由来
喫茶店の日は、1888年(明治21年)4月13日に日本で初めての西洋のコーヒー店を模した喫茶店を開業した事に由来して制定されました。
▪イベント
喫茶店の日に因んだイベントは、残念ながら見つけることができませんでした。
喫茶店の雑学
<日本初の喫茶店はだれが作ったの?>
日本で初めての喫茶店を作ったのは、長崎出身の実業家・鄭永慶(ていえいけい)です。
永慶は、かつて台湾を統治し日本に亡命してきた鄭家の子孫で日本の外交官をしていた鄭永寧の養子でした。
永慶は、16歳の時にアメリカのエール大学に留学しますが、21歳の時に体を壊して大学を中退し日本に帰国します。
そのため養父と同じ外交官にはなれず、22歳の時に岡山師範中学校(現岡山大学)の教頭となり2年間勤めましたが、友人の推薦で大蔵省に入ります。
しかし、学歴重視の官僚たちに馴染めず29歳の時に大蔵省を退職した直後、家が火事で焼失してしまいます。
永慶は新たな人生を歩むため、焼け残った土地に西洋風の喫茶店を建てたのでした。
これが日本初の喫茶店「可否茶館」です。
この日本初の喫茶店は、単にコーヒーや紅茶を楽しむのではなく、西洋の喫茶店のように多くの知識人が集まり交流する文化的空間として作られたものでした。
当時、外国人との社交場は「鹿鳴館」だけでした。
しかも鹿鳴館には限られた上流階級の人しか入れず、一般の人や若者たちは外国人と話したり文化的交流をすることはできませんでした。
これに納得がいかなかった永慶は、一般大衆や青年のための社交サロンを作りたいと思い可否茶館を建てたのです。
ですから、可否茶館は単なる喫茶店ではなく、1階がビリヤード場2階が喫茶店という作りになっていて、国内外の新聞や雑誌、図書館ばりの多くの本、トランプや囲碁・将棋・クリケットなどの遊具などが揃えてあり、さらにシャワー室・更衣室・化粧室も完備してありました。
しかし、永慶は経営の方はあまり才能がなかったようで、わずか5年ほどでこの喫茶店は閉店してしまったそうです。
因みに東京・上野の可否茶館の跡地には可否茶館の説明文が書かれた碑が立っているので興味のある方はぜひ見に行ってみてください。
<モーニングサービスはいつから始まった?>
喫茶店のモーニングサービスといえば今では当たり前のメニューですよね。
出勤前にお世話になっている人も最近の喫茶店ブームでまた増えてきたとか。
そんなモーニングサービスはいつごろから始まったのでしょうか?
じつは、モーニングサービスの元祖といわれるお店は全国に複数あり、正確な始まりははっきりしていないのです。
その中でも有力なのは、愛知県一宮市です。
一宮市は1950年代(昭和25年~35年)に繊維業が盛んで、朝から喫茶店で商談をする人たちのコーヒーにピーナツやゆで卵を付けて出したのがモーニングサービスの始まりだとされています。
これを知った他のお店の店主が「じゃあウチはトーストを付ける」「じゃあウチはトーストにゆで卵も付けよう」とサービスの競争がはじまり、愛知県、とくに名古屋では今でも盛りだくさんの料理が付いたモーニングサービスが有名になっているほど発展したとされています。
これがテレビや雑誌などで取り上げられて全国の喫茶店でもモーニングサービスが広まっていったというわけです。
朝ご飯は1日の活力になりますから、たまには少し早起きして喫茶店のモーニングサービスを食べてから出勤するのもおすすめですよ。
▪まとめ
喫茶店は、ファストフード店やファミレスと違って落ち着いた雰囲気でお茶を飲めるのが良いですよね。
町にある老舗の喫茶店やコーヒー専門店などは少し敷居が高い気もしますが、喫茶店の日には思い切って入ってみるのもいいかもしれませんね。
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