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生花(いけばな)の日とはいつ?意味や由来、イベントに「京都いけばなプレゼンテーション」

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▪はじめに

いけばなとは、花や草木を花器や花瓶に生けて作品を作り上げる日本の伝統文化の1つです。

老若男女問わず多くの人が楽しむことができ、海外でも人気が高いいけばなは、最近高校生が短時間でいけばなを競う生け花バトルやいけばなを扱ったマンガなどで注目を集めています。

そこで今回は、いけばなに関する記念日や歴史などについて紹介していきましょう。

 

生花の日とは

生花の日は、毎年6月6日にあります。

この記念日は、いけばなの普及活動事業の1つとして、2020年(令和2年)1月6日に公益財団法人日本いけばな芸術協会によって制定されました。

 

公益財団法人日本いけばな芸術協会とは、1966年(昭和41年)に設立された、日本の伝統文化であるいけばな芸術の普及、発展のために活動している団体です。

 

▪意味

生花の日には、記念日を通して、いけばなの技術の習得のみならず、その歴史などから知見を拡げること、花に直接ふれることで命の尊さやパワーを感じて人間性を豊かにしてもらいたいという願いが込められています。

 

▪由来

生花の日が6月6日にあるのは、日本では古くから「芸事の稽古始めは6歳の6月6日が良い」といわれており、この日から始めると上達が速いとされていることに由来しています。

なぜ「6歳の6月6日」なのかというと、現代の能楽の礎を築いたとされる世阿弥が記した「風姿花伝」の中に「稽古始めは6歳ごろが望ましい」とあることや、歌舞伎のセリフに「6歳の6月6日」とあり語呂合わせが良いこと、指で数を数えるときに「6」で小指が立ち「子が立つ」ということなどが由来しているとされています。

 

▪イベント

生花の日を制定した日本いけばな芸術協会は、毎年記念日の6月6日前後に、各流派、各地域で、いけばな体験教室や展覧などが開催されています。

 

京都市では、2013年以降毎年6月に、京都芸術センターで「京都いけばなプレゼンテーション」が開催されています。

 

このイベントでは、各流派によるいけばなの展覧会や、子供のいけばな体験と展示、誰でも参加できるいけばな体験などが行われ、毎年多く人が参加しています。

子供をはじめとした次世代を担う若い人たちがいけばなの体験や観察・観賞を通じて花に触れることで新たな発見をしてもらう事を目的とし、「いけばな みつけた」をテーマに開催されます。

「京都いけばなプレゼンテーション」では、流派によるいけばなの展示や子供を対象としたいけばな体験と展示、誰でも参加できるコップを使ったいけばな体験などのイベントが行われる予定です。

 

いけばなが好きな方やいけばな体験をしてみたい方はぜひ足を運んでみてください。

京都いけばなプレゼンテーションHP

 

いけばなの雑学

<いけばなはいつ誕生したの?>

日本の文化の1つである生花は、いつ頃から始まったのでしょうか。

 

日本では、古来から神を招く依り代として松や榊などの常緑樹を立て、花を飾るという風習があり(現在の門松など)これがいけばなのルーツだという説があります。

また、6世紀ごろ仏教とともに日本に伝わった仏前に供える「供花(くげ)」がいけばなのルーツであるという説もあります。

奈良時代(8世紀ごろ)には、聖武天皇によって全国に国分寺が建てられ、供花も広まっていきました。

 

現代のような形のいけばなの始まりは室町時代からだとされています。

 

室町時代には、「唐物」と呼ばれた中国大陸の器や絵画などが日本に多く輸入されるようになり、その唐物を飾るための床の間や違い棚を取り入れた書院造りという建築様式が誕生しました。

この床の間や違い棚の飾り方は、将軍の近くで雑務や芸能に関する仕事をしていた同朋衆(どうぼうしゅう)によって整えられていき、仏に花・香・灯明を捧げるための花瓶・香炉・燭台の三具足と呼ばれる3つの道具が取り入れられるようになり、花瓶に飾る花の生け方も同朋衆たちによって花器の中央に枝を高く立てる「立花(たてばな)」と呼ばれる技法が作り出されます。

この立花という技法は、床の間に花を飾ると花を決まった方向から見るという前提で生けるもので、現代の生花の原型とされています。

 

こうして書院造りの屋敷が増えていき、立花は徐々に広まっていき、足利義光の代の頃には、仏教の行事の1つとして行われていた七夕法楽で花を立てる花会が盛んに行われるようになりました。

花会で立てられた花は会が終わった後に一般に公開していたため、立花は徐々に供える物から見せる物として意識して立てられるようになっていきます。

中でも、京都六角堂の僧侶・池坊専慶は金の水瓶に数十本の花を立て、京都中の評判になったと東福寺の禅僧の日記「碧山日録」に書き残されています。

 

同朋衆が行ってきた立花は、室町幕府衰退とともに池坊が引き継いでいきました。

専慶の後を継いだ専応は、1542年(天文11年)に美しい花だけを挿すのではなく、草木やときには枯れた枝などを用いて自然の姿を花器の中に表現するという思想的な面を含んだいけばなの基礎理論を確立させ、「池坊専応口伝」という花伝書で弟子に伝えるようになります。

これが、華道の始まりとなったのです。

立花は、華道として引継がれていったことにより、時代の流れと共に技法が生み出され発展・完成されていき、色々な流派も誕生していきました。

 

江戸時代になると、華道は貴族や武家だけでなく裕福な町民も行うようになり、江戸時代中期になると「生花(しょうか)」と呼ばれる現代に近いスタイルの形式が誕生し、庶民へも広まっていきました。

 

明治時代に入ると、いけばなは女学校でも教えられるようになり、習いやすく教えやすい正風体という現代のような形式が教科書に掲載され広まっていったのです。

 

<「いけばな」という呼び方は江戸時代に生まれた>

現在、華道など花を器に生けることを「いけばな」呼びますが、じつは最初から「いけばな」という呼び方ではありませんでした。

先に述べたように、「いけばな」の原型は仏前に供える「供花(くげ)」をルーツとしたもので、初めは「立花(たてばな)」と呼ばれていました。

江戸時代に入ると、立花は武家の屋敷の大広間に飾られる大型のいけばな「立華(りっか)」が誕生し、いけばな自体が「立華」と呼ばれるようになります。

その後、立華は武家だけでなく裕福な町民の屋敷にも飾られるようになり、華道も町人へと広まっていきました。

江戸中期に入ると、立花の多種多様な花を使った伝統的な形式に囚われず野原や道ばたに咲く草花を自然の姿のまま活かして生ける「なげいれ花」をもとに1~3種類の花を使って自由な表現をする「生花(いけはな)」が誕生します。

この「生花(いけはな)」が町人に普及していき、いつしか「いけばな」と呼ばれるようになりました。

 

明治時代以降、西洋から入ってくる花に対応するため、広口の平たい花器に剣山などを使う「盛花(もりばな)」や口が狭く丈の高い花瓶にそのまま枝を入れる「投入」といった技法が新たに誕生し、それとの区別をするために「生花」を「しょうか」と呼び、花を生けることを総じて「いけばな」と呼ぶようになったといわれています。

 

▪まとめ

いけばなは、神様や仏様に手向ける神聖なものがルーツとなっています。

そして、時代の流れとともに色々な生け方が誕生し、伝統となって現在まで受け継がれてきました。

華道には伝統的な形式や作法があって少し敷居が高いように感じる方も少なくありませんが、現在も習い事として男女問わず多くの人が楽しんでいますし、花を生けることという意味でのいけばなは気軽に始められます。

花が好きでいけばなに興味のある方は、生花の日に花を生けたりいけばなの展示を観てみたりしてはいかがでしょうか。

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