「3月13日 青函トンネル開業記念日」
■はじめに
筆者は北海道に行く際はスカイマーク利用ですが、青函トンネルを通ってみたくて、1度だけJRを利用して帰って来たことがあります。
当時はまだ新幹線が新青森に届いたばかりのころだったので、青函トンネルは在来線特急でしたが、一体いつになったらトンネルを抜けるんだろうと思いました。
海の底だと思うと、あまり気持ちのいいものではありませんでしたね。
目 次
青函トンネル開業記念日とは
1988(昭和63)年3月13日、青函トンネルを経由する「JR海峡線」が開業したことを記念して、この日は「青函トンネル開業記念日」と呼ばれています。
また、この開業と同時に、青函連絡船の通常運行が終了しています。
その後、2016(平成28)年、新幹線の新函館北斗駅が完成したことで、在来線特急は青函トンネルを新幹線に譲ることになりました。
■青函トンネル開業記念日の意味と由来
青函トンネルは準備工事や着工式が至る所で行われたので、正式な工事開始がいつなのかはっきりしませんが、1964(昭和39)年1月26日の北海道内の斜坑口掘削開始を起点に数えると、実に24年の歳月をかけて完成されたことになります。
工事は数度の異常出水に悩まされ、34人もの殉職者が出る難工事でした。
トンネルの長さは53.85km、そのうちの海底部分は23.3kmで、水深140mの海底のさらに100m下を通っています。
トンネルは電車が走行する本坑1本だけではなく、他に並行した作業坑、先進導坑、
それを本坑と結ぶ連絡誘導路の計4種を掘る必要があり、連絡誘導路は火災発生時の避難、消火のため600m置きに設置されています。
開業当初は「竜飛海底駅」「吉岡海底駅」の2駅を開設することで、トンネル施設の見学ルートとしていましたが、現在は廃止されて「竜飛定点」「吉岡定点」となり、非常時にはここからケーブルカーや1317段の階段で地上に出られる仕組みです。
青函トンネル開業記念の日のイベント
2018年は青函トンネル開業30周年に当たったことから、JR北海道函館支社が3月10日に函館、新函館北斗、木古内、奥津軽いまべつ、新青森の各駅に到着した観光客に「お出迎えイベント」として、ご当地キャラクターなどのノベルティーを配布しました。
中でも、奥津軽いまべつ駅は、地元の町が特に力を入れて、伝統芸能「荒馬」演舞や牡丹鍋を振る舞うなどのイベントを開催しました。
20周年、30周年の開催だったので、次は2028年のはずですが…。
青函トンネル開業記念日の雑学
▽第2青函トンネル
5、6年前、青森県議会議長が「第2青函トンネルの建設要望」を国に申し入れたことで、Web上でちょっとした騒ぎになりました。
もちろん、反対は78%、賛成16%という散々な調査結果でしたが、この要望は青函トンネルが貨物列車と共用のために速度制限されている新幹線に、高速運転の道を開く目的と見られましたが、トンネルより東京側の青森がトンネル内のスピードアップを言い出すのは少し筋が違っています。
要望の本質は今後に想定されるトンネル内貨物輸送の減便を見据えたもので、北海道と本州間の物流の40%を占めるJR貨物の減便は、全国展開の宅配業者、自動車メーカー向け部品、生鮮食料品など広範囲に影響を及ぼすため、青森1県を見てのことではなく、日本の流通を考えた「国土の強靭化」にあると思われます。
しかし、5年前の想定では建設費が6000億円で、今ならさらに膨らんでしまうのは目に見えています。
見果てぬ夢に終わりそうです。
▽新たなトンネル掘削技術「沈埋工法」
青函トンネルはダイナマイトを使ったために異常出水で難工事になりましたが、その後、シールド工法という掘削技術が開発され、トンネル工事は格段の進歩を遂げました。
シールド工法とは乱暴な例えですが、カバーを外した扇風機の羽根の回転で掘り進めるような理屈で、新しい地下鉄のトンネルはきれいな円筒形になっています。
しかし、技術革新はさらに進化し、現在の「沈埋工法」はトンネルを地上で作っておき、海底の所定の位置にひとつずつ降ろして、それをつないだ後に水を抜くという工法で、すでに水深60mのトルコ・ボスポラス海峡で日本の大成建設が地下鉄を完成させています。
費用も今までより抑えられるため、第2青函トンネルの話が再燃するかもしれません。
■最後に
青函トンネル開業は1988年ですが、それ以前の1983年1月27日は、津軽海峡の下で両方から掘り進んだトンネルがつながった日です。
トンネルはあと1mの壁を残したところで、9時24分、中曽根首相が官邸から遠隔で最後の発破ボタンを押したそうです。
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