「10月24日 国連デー」
■はじめに
日本はアメリカ、中国に次いで世界で3番目に多い分担金を国連に拠出しているにも関わらず、国連内では影が薄く、日本の存在感を示せていません。
これは戦勝国中心に結成された成り立ちや、日本の外交下手のためと言われていますが、そのせいで日本国民の国連への関心が一向に高まってこないように思えます。
目 次
国連デーとは
1945(昭和20)年10月24日、国際連合憲章の発効に伴って、国際連合が正式に発足しました。
これを記念して3年後に、この日を「国連デー」(国連の日とも表記)に制定し、「国連の目的と成果を世界の人々に知らせ、国連の責務の支持を得ることに捧げる」と宣言しました。
「国連デー」は約160ある「国際デー」の中のひとつですが、紛らわしいので「国際連合憲章記念日」とか「国連発足の日」のほうがスッキリする気も…。
■国連デーの意味と由来
「国連デー」の意味は、すなわち国際連合の存在意義そのものに他なりません。
国連は第2次世界大戦後、それまでの国際連盟に代わり、戦勝国であるアメリカ、イギリス、ソ連、中華民国などが中心となって、51か国の構成で発足し、現在は193か国が加盟しています。
もちろん国連憲章の第1条で謳う「国際平和」「友好」「人権」の維持、発展、協力が目的で、この精神によって再び世界のどこにも戦争を起こさせないとしていましたが、さすがに「大戦」にはならずとも、その後、数度の中東戦争や朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフリカ各地の内乱など、国連の限界が露呈しているのは否定できません。
しかし、国連が紛争の解決に無力である一方、平和維持活動(PKO)創設や、ユニセフ、国連難民高等弁務官などによる発展途上国に対する人道支援、地球環境保全活動では着々と成果を挙げています。
■国連デーのイベント
国連は1971年の総会で、加盟各国に対して「国連デー」を祝日とするよう、やんわりと要請しましたが、日本は取り合っていませんね。
「海の日」「山の日」よりも意義があり、とかく学校を出てしまえば興味を示さない傾向のある国連を見直す機会になると思いますが、残念ながらそのような動きは見られていません。
しかし「国連デー」前後には、一部の大学でシンポジウムや写真展、ドキュメンタリー上映会などが開催されています。
国連デーの雑学
▽国連大学
1975(昭和50)年、東京・渋谷に日本国内に唯一、国連機関の本部を置く「国連大学」(United Nations University)が開設されました。
これはシンクタンク機関と大学院の機能を持つ組織で、いわゆる大学とは異なる性格で、内外から多くの専門家が参集し、主要研究テーマを「サステイナビリティ」(持続可能性)とし、その他にも社会の様々な課題を調査研究して、成果発表や政策の助言を行っています。
大学院は大学卒業者、社会人を対象に、修士号(2年課程)や博士号(3年課程)の取得ができる教育機関で、学生の半数とスタッフの4割が発展途上国の出身で占められています。
▽国連事務総長の決まり方
国連事務総長の選出は「安全保障理事会の勧告に基づいて総会が任命する」と規定され、8代目まではこの規定で選出されていましたが、選定過程の安保理は非公開であるため、「密室」という透明性の低さが批判されていました。
このため9代目の現グレーテス事務総長は、事前の公募と公聴会を経て、安保理が推挙して決定されました。
事務総長の条件は、常任理事国以外の非紛争国出身で、5~10年で交代しています。
しかし、8代目の韓国出身の潘基文氏は休戦中とは言え、北朝鮮との紛争を抱えている点に疑問があり、ここでも密室の批判が高まりました。
■最後に
1961年9月17日、ハマーショルド第2代国連事務総長(スウェーデン出身)の乗る国連チャーター機が、アフリカのローデシア・ニヤサランド連邦(現ザンビア)で墜落し、ハマーショルド氏を含む16人全員が死亡する事故(事件?)が発生しました。
同事務総長のアフリカ支援政策が、旧植民地支配国やソ連から強く批判されていたため、当初は暗殺、陰謀説が流れましたが、操縦士の判断ミスとして処理されました。
しかし依然として「冷戦期最大の謎のひとつ」と言われ続けたことから、2013年になって国連に調査委員会が設置され、4年後に公表された報告書では、外部からの攻撃が原因である可能性を示唆しています。
この事件の真相を追求したドキュメンタリー映画「誰がハマーショルドを殺したか」が2020年7月公開されました。
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