「10月6日 天むすの日」
■はじめに
筆者は食べ物については超保守的!というよりかなり偏食です。
もちろん、エビなんてとんでもないということで、「天むす」とは縁がありません。
目 次
天むすの日とは
10月6日は「天むす」で知られる大阪の食品製造・販売会社「天むす・すえひろ」が制定した「天むすの日」です。
日付は「てん→10、む→6、す」といった語呂合わせになります。
■天むすの日の意味と由来
「天むす」はエビの天ぷらを具にしたおにぎりで、1950年代に三重県津市の天ぷら店「千寿」で賄い料理として作られていました。
やがて、これが常連客の知るところとなり、いわゆる裏メニューとして好評を得たため「千寿」は1959(昭和34)年に天むす専門店に衣替えし、その6年後には商標登録をすることになります。
また、1981(昭和56)年にはのれん分けの形で名古屋にも「千寿」がオープンしました。
しかし大々的な宣伝をしなかったため、当初は細々と営業するだけだった名古屋「千寿」でしたが、地元TV局のローカル番組で紹介されたことをきっかけに売り上げが急増、つれて全国的な話題にもなったことで「天むす」の知名度も急上昇しました。
ただ、津と名古屋の両店舗は地元密着型の営業方針で、全国への出店はしませんでしたが、天むす関連の商標登録を済ませた他企業によって、現在は全国のデパ地下やコンビニでも買うことができるようになっています。
「天むすの日」を制定した「天むす・すえひろ」は、津の「千寿」直々に指導を受けて開業した大阪の企業で、大阪・北新地と東京・渋谷センター街の同時オープンや製造過程を通行人に見せる戦略がヒットして、京阪神と関東エリアで多店舗展開するにまで至っています。
■天むすの日のイベント
販促用に一企業が制定した「○○の日」といった記念日を業界が一丸となってアピールしたのでは、ライバル会社の応援をするようなものなので、各社こぞってのイベントなどあるはずもないですね。
「天むすの日」も同様で、制定した「天むす・すえひろ」独自のイベントもないようです。
天むすの日の雑学
▽おにぎりの変遷
日本人はいつごろから「おにぎり」を食べていたのでしょうか。
もち米を蒸した後に焼かれたおにぎり状のチマキ炭化米が、石川県の弥生後期の遺跡で発見されたことから、紀元前1世紀にはすでにおにぎりのようなものが食べられていたと見られています。
文献での証拠としては奈良時代初期に天皇の詔で編纂された「常陸国風土記」の中に「握飯」(にぎりいい)との文言が残されています。
平安時代になると、宴の際に貴族が蒸したもち米を握って固めた「屯食」(とんじき)を従者に振る舞ったほか、防人や兵士の携帯食にも利用され、鎌倉時代の承久の乱では東国側の武士に配られた梅干し入りおにぎりがきっかけで、梅干しが全国に広まることになります。
兵糧として「菜飯おにぎり」が重宝されたのは戦国時代で、豊臣政権下になると、コメも従来の赤米や黒米から収穫量の多い白米が主流になります。
やがて五街道が整備されて人の往来が増えた江戸時代には、おにぎりが弁当として重宝されるようになり、アサクサノリの養殖が始まると「海苔巻きおにぎり」が登場します。
明治初期には海苔に醤油やみりんで味をつけた「味付け海苔」が考案され、おにぎりに利用されたことで、このころからおにぎりの味が多様化し始めました。
1885(明治18)年、日本初の駅弁が宇都宮駅構内で発売されましたが、これは黒ごまをまぶしたおにぎり2個とたくわん2切れでした。
初めておにぎりが学校給食に登場したのは1889年のことで、山形県鶴岡町(現鶴岡市)の小学校で、おにぎり、焼き魚、漬物という献立だったそうです。
■最後に
フィルムでパッケージされたセブンイレブンのおにぎりは、海苔のパリパリ感が損なわれない素晴らしいアイデアですが、筆者はいつまで経ってもうまくフィルムをはがすことができません。
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