「8月6日 広島平和記念日」
■はじめに
2021年10月24日、日本の核兵器廃絶運動の中心的存在だった坪井直(すなお)さんが貧血による不整脈で亡くなりました(96歳)。
坪井さんは20歳時の1945(昭和20)年8月6日、広島で被爆して全身に大やけどを負い、2か月近く生死をさまよった後、意識を取り戻したものの、がんを発症するなど生涯、原爆の後遺症と闘いながら、日本原水爆被害者団体協議会の代表委員を務め、オバマ米大統領と面会して原爆の悲惨さを直接訴えました。
また、ひとり原爆の語り部を失ってしまいました。
現在、広島と長崎を合わせ、被爆者は約12万7000人となっています。
目 次
広島平和記念日とは
原爆が投下された8月6日、広島市は毎年のこの日に、原爆死没者を追悼するとともに核兵器廃絶と世界恒久平和を願って平和記念式典を開催しています。
この式典では広島市長が全世界へ向け「平和宣言」を発表、2度とこんな悲劇が起きないよう訴えています。
■広島平和記念日の意味と由来
いくら平和を願うと謳っていても、筆者はどうしても「記念式典」という名称には抵抗を感じます。
聞けばこの式典の正式名称は「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」というそうです。
以前から「祈念式典」にすべきという意見は多くあるそうですが、広島市によれば「祈念」とは原爆死没者の霊を慰めるための祈り、平和実現の祈りを表す表現で、「記念」は忘れてはならないとする日であり、恒久平和への誓いを後世に継承することを意味するそうです。
そのため継承に力点を置いた総称として「平和記念式典」としているそうです。
霊を慰めるほうは軽くていいのかといった不毛な論議は置くとしても、あんな惨劇のあった日を「記念」とするのには、やはり心情として納得できないものがあります。
■広島平和記念日のイベント
広島市では毎年のこの日、原爆が投下された8時15分にサイレンが鳴り、一斉に黙祷するそうですが、筆者の住む関東ではそのサイレンを聞いたことがありません。
しかし中にはサイレンを鳴らす自治体もあって、東村山市では1988(昭和63)年から毎年8月6日と9日にサイレンを1分間連続吹鳴しているそうで、調布市や三鷹市、多摩市など、東京の他の自治体でも防災無線を通じて黙祷を呼び掛けていると言います。
サイレンや無線の有無にかかわらず、その日その時間には黙祷を捧げたいと思います。
広島平和記念日の雑学
▽「ヒバクシャ国際署名」
現在、9カ国が核兵器を保有し、地球上には1万5000発もの核爆弾が存在します。
後世の人々が生き地獄を体験することのないように、何としても核兵器のない世界を実現したいという思いから始まったのが「ヒバクシャ国際署名」運動です。
この運動は2016年から2020年末まで続き、国内外で1370万2345人の署名を集め国連へ提出されました。
この運動は既に終わっていますが、筆者はこの署名活動を知りませんでした。
なぜ知らなかったんだろうと忸怩たる思いです。
▽「原子力の街」
長崎に投下された原爆のプルトニウムを生産したアメリカ・ワシントン州リッチランドは戦争を終わらせた「原子力の街」を自負しているそうで、そこにある高校も校章に「キノコ雲」のデザインが採用されていると、2年程前に日本の留学生の投げかけた疑問が話題になりました。
また、ニューメキシコ州は原爆が製造され、核実験が実施された場所として有名で、同州にある科学博物館のモニター画面には「原爆が戦争を終わらせ多くの命を救うことができた」といった映像が流れ、原爆の成果を誇るように一面焼け野原の広島のパノラマ写真が展示されています。
ここには広島の犠牲や核廃絶という目線はなく、あくまで戦勝国の誇りを紹介しています。
土産物コーナーには原子爆弾「ファットマン」や「リトルボーイ」のキーホルダー、原爆を投下したB29「エノラ・ゲイ」のピンバッジなどが並ぶばかりです。
核兵器に対する認識の温度差を感じずにはいられません。
■最後に
核兵器の開発、保有、使用を全面禁止とする初の国際法規「核兵器禁止条約」が2021年1月22日に発効しました。
米、英、仏、中、露の核保有五大国の不参加はさもありなんと思いますが、米国の「核の傘」に守られていることを理由に、被爆国である日本の不参加はとうてい納得できるものではありません。
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