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霧笛記念日とはいつ?意味や由来、尻屋崎灯台、紫雲丸事件とは

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「12月20日  霧笛記念日」

■はじめに

本日は「霧笛」がテーマです。

霧笛と聞いて、いきなり1960年のアクション映画「霧笛が俺を呼んでいる」を思い浮かべる人は、日活全盛の昭和真っ只中に青春を過ごした人だろうと思います。

主演の赤木圭一郎を知る人も少なくなってしまいましたが、当時は「和製ジェームズ・ディーン」と呼ばれるほどの人気でした。

赤木はその翌年、奇しくもディーンと同じ自動車(ゴーカート)事故で急逝しました。

ちなみに、この映画には売り出し中の吉永小百合(当時15歳)がヒロインの妹役で出演していました。

 

霧笛記念日とは

1879(明治12)年12月20日、津軽海峡の本州側、青森県下北半島北東端にある尻屋崎灯台に、日本で初めて「霧笛」(Foghom)が設置されたことを記念して、同日は「霧笛記念日」と呼ばれています。

 

■霧笛記念日の意味と由来

船舶のための濃霧対策として灯台が鳴らす警報が霧笛ですが、船舶が自ら衝突回避のために鳴らす汽笛も「霧笛」と呼びます。

現在は船舶用レーダーやGPSといった計器の普及により、灯台の霧笛は2010(平成22)年に北海道・小樽の日和山灯台の霧笛設備が廃止されたことで、灯台から霧笛が鳴り響くことはなくなりました。

このため、ほとんどの人は霧笛と言えば船舶の汽笛のことで、灯台を思い浮かべることはないようです。

 

■霧笛記念日のイベント

「霧笛記念日」をターゲットにしたイベントは見当たりません。

 

霧笛記念日の雑学

▽尻屋崎灯台

高さが30mにも及ぶ日本一高いレンガ灯台である尻屋崎灯台は、3年4か月の工期を経て1876(明治9)年に完成し、点灯を開始しましたが、風のない日の津軽海峡の通航は濃霧に悩まされていました。

点灯の翌年には早速、日本初の音波標識である「霧鐘」が設置されたものの、鐘を鳴らす振動が激しすぎて外壁が損傷するため、わずか2年で使命を終えています。

その後継として登場したのが「霧笛」でした。

 

濃霧対策は霧笛に加え、光を放つ方向を自在に調整できる日本でただ1枚という特殊なレンズを導入し、遠方に光の届かない視界不良時には近距離をより強く照らすことが可能になりました。

さらに1901(明治34)年には、またまた日本唯一という2枚の方形レンズに交換、このレンズには電気を使用するアーク灯が設置されたことで、尻屋崎灯台は日本初の電気を使用する灯台になりました。

今では知名度がイマイチですが、当時の尻屋崎灯台は日本初、日本唯一といった最先端の設備を持つ灯台でした。

尻屋崎灯台の霧笛は1994(平成6)年に廃止されています。

 

▽「霧笛は生かせなかった」…紫雲丸事件

1988(昭和63)年に瀬戸大橋が開通するまでの78年間、国鉄の宇高連絡船が岡山と香川の往来を担っていました。

筆者は友人たちとの四国旅行で1度乗船したことがありますが、岡山側の宇野港駅に着いた列車がそのまま連絡船に乗り入れたことにビックリしました。

連絡船の車両甲板の線路は宇野港で陸上の線路に接続されるシステムですが、いきなりこんな重量が乗り入れて、船と接続した線路がズレないものかと心配したことも覚えています。

連絡船は人だけではなく貨物輸送も担っていたため、15トン積み貨車14両を積載可能で、長さ76.18m、幅13.2m、1449総トン、旅客定員1500人という雄姿でした。

宇高連絡船は「紫雲丸」「鷲羽丸」「眉山丸」と貨物専用の「第3宇高丸」などで運航されていました。

 

前置きが長いですが、宇高航路を連絡船は1日20往復近くを行き交う商船や漁船、小島、暗礁などを縫うように運航していました。

1955(昭和30)年5月11日午前6時40分、349人の修学旅行の小・中学生を含む旅客781人、乗組員63人を乗せた「紫雲丸」が濃霧注意報の中、高松港を出航。

その30分前、「第3宇高丸」は宇野港を出航、こちらも濃霧注意報を受け取っていたものの進路の視界が良好なため、速度を落とすことなく時速20km近くで航海を続けました。

午前7時前に両船は高松港の沖合4kmあたりですれ違う予定でしたが、そのころは濃霧が立ち込めており、相互の進路や速度も正確に把握できない状況になっていました。

紫雲丸は霧がさらに濃くなって視界がほとんどなくなったため、6時45分に霧笛(霧中信号長音)を発し、第3宇高丸も霧笛で応答したことで相互に存在を確認、その後も2度、第3宇高丸の霧笛を確認しましたが、レーダーも機能していたことから、紫雲丸は全速力のまま進んで行きました。

6時53分、紫雲丸は視界がゼロとなったため減速し、念のために第3宇高丸へ無線連絡を試みましたが、自船の霧笛に邪魔されて相手を呼び出すことができませんでした。

両船ともに思い込みの違いから、6時56分、全速力の第3宇高丸の船首が紫雲丸の右舷船腹に衝突し、あっという間に海水が流入して、わずか5分後に紫雲丸は沈没することになります。

修学旅行生100人、引率8人、一般旅客58人、船員2人の計168人が犠牲となりました。

霧笛の果たした役目を、その後の操舵に生かせなかったことが残念でなりませんが、最後に無線を妨げたのが霧笛だったことは皮肉な結果としか言いようがありません。

 

■最後に

紫雲丸事件は遅々として進まなかった本四連絡橋構想に弾みをつけることになりました。

3本の本四連絡橋は168人の犠牲者が架けた橋と言えそうです。

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