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国民融和日はいつ?意味や由来、融和運動とは

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▪はじめに

融和運動とは、日本で明治時代から第二次世界大戦中にかけて行われていた現在でいう同和問題(部落差別)を無くそうとする運動のことです。

今回は、今でも水面下で根強く残っている部落差別関する記念日や歴史などについて紹介していきましょう。

 

国民融和日とは

国民融和日は、毎年3月14日にあります。

この記念日は、1868年(明治元年)の3月14日に「上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし。(身分の上下に関係なく日本を治めていこう)」という文が書かれた「五箇条の御誓文」が宣布されたことに因んで、1930年(昭和5年)に財団法人・中央融和事業協会によって制定されました。

 

中央融和事業協会とは、1925年(昭和元年)に内務省社会局内に設立された被差別部落の問題に関する社会事業団体です。

 

▪意味

国民融和日には、「同胞相愛の趣旨に則り旧来の陋習(ろうしゅう:悪い風習)を改め国民親和の実を挙げる」という目的がありました。

 

▪由来

国民融和日は、1868年(明治元年)の3月14日に「五箇条の御誓文」が宣布されたことに由来して制定された記念日です。

 

▪イベント

国民融和日に関するイベントは、残念ながら見つけることができませんでした。

 

国民融和の雑学

<融和運動とは>

日本では、江戸時代に「士農工商」という身分制度が設けられていました。

これは、戦国時代に戦が起これば刀などの武器を持って参戦していた農民と武士を明確に分ける為の制度でした。

しかし、平和になった世で農民が武器を持っていると反乱を起こす危険性が生まれます。

そこで江戸幕府は「士農工商」という身分制度を作って、武士は刀を持つことを許された支配階級であることを位置づけました。

 

武士以外の職業にも階級が付けられましたが、実際には武士、農民、町人という3つの身分に分類され、農民と町人には身分の差はなく、農業をしていなくても村に住んでいれば農民、農業をしていても町に住んでいれば町人という分け方だったようです。

問題なのは、4つの階級よりもさらに下の身分であった「穢多(えた)」「非人(ひにん)」という階級が設けられていたことです。

「穢多(えた)」とは、死んだ動物の皮を剥がして加工する仕事や罪人を処刑する仕事、祭りで穢れを落とす仕事、芸能の仕事など文字通り穢れが多い職業で、「非人(ひにん)」とは、遊郭での仕事や物乞いなど人がしたくない職業でした。

「非人(ひにん)」には農民や町人が罪を犯したり貧困となったりしてなった場合や親が非人だったからという理由でなる場合もありました。

これら2つの階級は、住む場所が決められており(部落)、社会から疎外され、ひどい差別を受けていました。

1871年(明治4年)に「えた・ひにん」の身分を廃止する解放令が制定されましたが、差別は根強く残っていました。

この差別を無くすために始まったのが融和運動です。

 

融和運動は、明治時代に部落出身の代議士・森秀次や和歌山県の郷土史家・岡本弥らによって始められました。

森氏たちは、差別の原因が部落の劣悪な環境や教育水準が低いことにあるとして、富裕層や国粋主義(ナショナリズム)者の力を借りて部落民の地位向上を実現することやブラ棄民の意識を高めて部落外の人々の同情と理解を求めることで差別を無くすことを目的に活動していました。

融和運動を行う団体は、1914年(大正3年)に政治家で実業家でもあった大江卓が設立した「帝国公道会」、1921年(大正10年)に華族で東京帝国大学助教授であった有馬頼寧が設立した「同愛会」などがあり、1925年(昭和元年)にはこれらの団体を集結した中央融和事業協会が発足しました。

しかし、1922年(大正11年)に結成された全国水平社(差別する側に問題があるとして差別への糾弾や啓発を行う部落民解放運動団体)と対立して力が弱まったことや、同和奉公会(融和事業協会の後を受け継いだ団体)が第二次世界大戦に突入してから被差別部落住民を戦争に参加させるための団体となってしまったことから1946年(昭和20年)に解散しました。

しかし、融和運動の思想は現在も「自由同和会」や「全日本同和会(同和会)」に引き継がれています。

 

<現在も続いている同和問題活動>

部落差別問題は、現在「同和問題」という名前で呼ばれています。

「同和」は「同胞融和」という言葉の略語で、昭和天皇が即位された際の詔勅(天皇の意思を外部に表示したもの)の「人心惟レ同シク民風惟レ和シ」という部分が由来となっているとされており、生まれや家柄、血筋、あるいは社会的身分に関係なく、国民は等しく慈しみあわねばならないという意味があるとされています。

 

戦後、国による同和問題への取り組みは1969年(昭和44年)に「同和対策事業特別措置法」が制定されたことによって様々な取り組みが行われ、改善へと向かいました。

しかし、問題の全てが解決したわけではなく、今も差別は残っています。

具体的には、結婚を周囲に反対される、身元調査をされる、就職や職場で不利不当な扱いを受ける、差別的な言動をされる、インターネット上で差別的な書き込みをされるなどです。

昔に比べて部落差別はあまり表に出なくなってきたので、なかには声を上げずにいればお互い知らないままで風化していき、部落差別など無くなっていくのではないかという考え方もあるようですが、実際にはまだまだ根強く残っています。

国は、2016年(平成28年)に「部落差別の解消の推進するに関する法律」を施行し、現在も啓発活動やえせ同和行為(同和問題を口実に、企業や行政機関などに不当な利益や義務の無いことを要求する行為)の取り締まりが行われています。

 

▪まとめ

同和問題は、私たちが子供のころに比べると見聞きすることがずいぶん減ってきたように感じます。

しかし、まだ完全に無くなったわけではなく、残念ながらこれから先も続いていくと思われる問題だと思います。

国民融和日には、同和問題について正しく知り、考えてみてはいかがでしょうか。

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