「7月1日 東京都政記念日」
■はじめに
明治維新で「江戸」は「東京府」と改称されました。
この3文字のそれぞれの意味ですが、まず「東」はそれまで中心だった京都からみれば東方で、これは言うほどのことでもありません。
「京」は天皇の住まい(御所、皇居)がある場所で、平安京、平城京、藤原京、長岡京、東京と並べると納得です。
「府」とは軍事、政治の拠点で、「幕府」なんて言いますね。
現在の「東京都」ですが、本来「京」と「都」は同じ意味なので違和感もあり、「東京府」でよかったのではなんて考えていますが…。
目 次
東京都政記念日とは
1943(昭和18)年7月1日、それまでの東京府と東京市を廃止して「東京都」が設置されました。
■東京都政記念日の意味と由来
東京都と改められたのは二重行政の解消と、戦時下の体制強化のためで、この時点では35区制だったものが、終戦後の人口減によって再編成され、現在は23区、26市、5町、8村の構成になっています。
■東京都政記念日のイベント
動物園や庭園、美術館などが無料になったり、記念行事が開催されるのは毎年「都民の日」の10月1日で、そもそも「東京都政記念日」を知っている都民は多くなさそうです。
東京都政記念日の雑学
▽東京23区は表記順番が決まっている
東京に住む人以外は気にしたこともないでしょうが、23区を列記する際の順番はちゃんと決められているそうです。
これは1878(明治11)年に「郡区町村編制法」によって、東京に区が設置されて以来踏襲している順番です。
当時は15区しかなくて、皇居のある麹町区を起点として時計回りに神田、日本橋、京橋、芝、麻布、赤坂、四谷、牛込、小石川、本郷、下谷、浅草、本所、深川の順と決められていたそうで、15区を一巡すると次は外側の郡部を、荏原、豊多摩、北豊島、南足立、南葛飾の順にもう一回りしました。
15区時代の区名は一つも残っていませんね。
1932(昭和7)年には35区制になりましたが、起点が品川区になっただけで原則の変更はなく、現在もこの原則は踏襲されています(カッコ内は旧区名)。
(1)千代田(麹町、神田)→(2)中央(日本橋、京橋)→(3)港(芝、麻布、赤坂)→(4)新宿(四谷、牛込、淀橋)→(5)文京(小石川、本郷)→(6)台東(下谷、浅草)→(7)墨田(本所、向島)→(8)江東(深川、城東)→(9)品川(品川、荏原)→(10)目黒→(11)大田(大森、蒲田)→(12)世田谷→(13)渋谷→(14)中野→(15)杉並→(16)豊島→(17)北(滝野川、王子)→(18)荒川→(19)板橋→(20)練馬(板橋)→(21)足立→(22)葛飾→(23)江戸川
▽東京一極集中の問題点
近年、東京一極集中の弊害を問う論調が勢いを増しているように思えます。
これはコロナ禍によってリモートワークを推進せざるを得なかった企業活動や働く人の意識の変化がきっかけになったように思います。
以前から言われているのは産業、雇用、教育、情報などが過剰に集中することで、東京圏が人口の50%を占め、地方の過疎化がより深刻になるという主張です。
また、政治や行政、経済、情報などの機能が集中していると、首都直下型地震発生の際、官邸、各省庁、国会、裁判所など、国家の中枢機能が停止して、機能不全は全国に波及、損害は数百兆円とも想定されます。
自然災害以外でも、もし大停電が起きれば何日間も電気、ガス、上下水道、通信などのインフラが停止して、数千万人規模の被害が発生します。
加えて、高度成長時代に敷設された水道管やガス管、橋やトンネル、高速道路、マンションなどの老朽化も深刻です。
■最後に
東京を首都と定める法律はなく、政府や天皇の在所があるためとするのは慣習にすぎないと言われています。
「東京遷都」という言葉もありますが、維新の際に天皇は詔を出して明確に遷都を宣言していません。
となれば「都」を名乗るのは東京都に限られるわけでもなく、大阪都構想もムリ筋ではないように思えます。
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