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納めの大師とはいつ?意味や由来は。弘法大師(空海)の命日に因んで

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▪はじめに

昔から神社やお寺では、ご本尊としている神仏や位の高いお坊さんの誕生日や命日、月命日に縁日が開かれています。

数ある

縁日の中でも、日本で最も有名なお坊さんである弘法大師(空海)の命日に因んだ縁日の中で、12月21日に開かれる縁日のことを「納めの大師」または「終い大師」、「終いの弘法」といいます。

 

納めの大師とは

納めの大師は、毎年12月21日にあります。

納めの大師とは、弘法大師(空海)の命日に因んで弘法大師ゆかりのお寺で毎月開かれる縁日の中の、1年で最後に開かれる縁日のことです。

 

弘法大師(空海)とは平安時代初期の僧侶で、唐(中国)に渡って密教を学び、日本に帰国後「真言宗」という宗派を開いたり、四国霊場(四国八十八か所)を作ったりした人物です。

 

▪意味

弘法大師は厄除けのご利益が有名で、納めの大師の日にはその年のご利益をいただいたお守りやお札などをお焚き上げして厄払いをし、次の年のお守りやお札などを購入して新しい年を迎える準備をする日となっています。

 

▪由来

弘法大師に関する縁日は、弘法大師の命日とされている3月21日に由来して、月命日である毎月21日に毎月行われています。

その中の1年で最後の縁日となるのが12月21日なので「納めの大師」や「終い大師」「終いの弘法」などと呼ばれています。

 

▪イベント

弘法大師をご本尊とするお寺では、毎年12月21日に「納めの大師」が開かれています。

 

東京都足立区にある西新井大師の「納めの大師」は「終い大師」とも呼ばれ、主に商売繁盛を祈願しています。

この縁日では、東京でその年最後となる「熊手市」が行われ、商売繫盛や家内安全などの幸運をかき集めるとされる縁起物の熊手を扱った屋台が立ち、毎年多くの人が買い求めにやってきます。

この熊手は、最初は小さなものを買って毎年少しずつ大きなものに替えて育てていくと良いとされ、屋台では初心者向けの小さな熊手から長年育てている方向けの大きな熊手まで各種取り揃えられています。

そのほかにも、縁起物のだるまやたこ焼きなどの食べ物の屋台、野菜や漬け物、履き物などの屋台もあります。

 

京都にある東寺で開かれる「納めの大師」は「終い弘法」と呼ばれ、境内に干支の置物やカレンダー、数の子などお正月準備に必要な品物の屋台などが1,000軒も立つので、厄落としと共にお正月の準備もできます。

 

西新井大師HP  https://www.nishiaraidaishi.or.jp/sp/

東寺公式HP  https://toji.or.jp/smp/

 

 

弘法大師(空海)の雑学

<弘法大使(空海)とはどんな人物?>

弘法大師といえば、「弘法も筆の誤り」ということわざで有名ですよね。

このことわざから、字が上手な人なんだなというイメージを持っている人が多いかと思いますが、実際にはどのような功績がある人物なのでしょうか?

「弘法大師」とは、歴史の教科書に必ず登場する「空海」が亡くなった後に天皇から贈られた尊称です。

天皇から尊称を贈られるほど功績を多く残した僧侶・空海は、子供のころから仏教に対する強い信仰心を持っていたといわれています。

 

空海は774年(宝亀5年)6月15日に讃岐の国(現・香川県)の豪族であった佐伯善通(さえきよしみち)の子として生まれました。

幼少期の名前は「真魚(まお)」といい、小さい頃から漢文を読みこなすほどの天才だったといわれています。

幼い頃から仏教に対する信仰心も篤く、近所の子供たちを集めて泥で仏像を作り拝むほどでした。

空海は多くの奇跡を起こしたと伝えられていますが、子どもの頃に次のような奇跡を起こしたと伝わっています。

ある日真魚は、7歳のときに段が絶壁に登り「自分は将来仏門に入り、多くの人を救いたいです。この願いが叶うなら命を救ってください。もし叶わないのなら命を捨てて仏さまにこの命を捧げます」と叫んで崖から飛び降りたところ、天女が舞い降りてきて真魚を抱き締め、真魚はケガ一つなく助かったそうです。

この逸話を「捨身誓願(しゃしんせいがん)」といい、真魚が飛び降りた崖には「捨身ヶ嶽」と名付けられ、お遍路さんの霊場にもなっています。

 

優秀だった真魚は、叔父に勧められ18歳で京の都の大学に入り役人になるための勉強をしますが、役人になることが多くの人を救うことになるのか疑問に思い、時折大学を抜け出して山で修行をしていました。

真魚が修行をしていたとき、一人のお坊さんから仏様の真言を50日間で100万回唱える「虚空蔵求聞持法(こくぞうぐもんじほう)」という厳しい修行を授けられます。

真魚は故郷へ帰り、四国中を巡りながらこの修行を行いました。

この修行の中で真魚は、土佐の国(現・高知県)の室戸岬で真言を唱えていたとき、仏様を表す明星が自分の口の中に飛び込んでくるという体験をします。

まるで仏様と一体化したような不思議な体験をした真魚は、僧侶となることを決心し、この時室戸岬から見えた空と海のから「空海」と名乗るようになりました。

 

その後空海は出家し、過酷な修行を続け「大日経(密教)」と出会います。

密教は当時の日本では断片的にしか伝わっていなかったため、空海は唐(中国)に渡って2年間密教の勉強をして帰国したのち、密教を日本に広めながら、修行場として高野山・金剛峯寺を開設し、修行僧の道場としました。

そして、故郷の四国で空海がかつて修行をしていた場所を巡る八十八箇所の霊場も作り、現在も多くの人がお遍路として巡礼しています。

 

また、空海は密教を広めると同時に、朝廷の依頼で故郷の讃岐の国(現・香川県)にあった農業用ため池の満濃池の修繕も行っています。

これは、空海が唐で最新の土木技術も学んでいたからです。

空海の指揮の元行われた修繕工事はわずか3ヶ月で完了し、何度も干害を救いました。

満濃池はその後何度か壊れ使われない時期もありましたが修繕を繰り返し、現在では日本一大きな農業用ため池として活躍しています。

また、空海は満濃池の修繕工事の指揮をとる傍ら、池のほとりで毎日工事の無事を祈っていたといわれていて、祈願していた場所が護摩壇岩として残っています。

 

その他にも、空海には湧き水や温泉を出す霊力があったとされ、空海が湧出したとされる湧き水や温泉が現在も日本各地にあります。

 

これらの偉業を成した空海はその功績が称えられ、死後「弘法大師」という尊称を醍醐天皇から賜ったのです。

 

<弘法大使はまだ生きている?>

日本全国の弘法大師を祀ったお寺で、命日に因んだ縁日が行われていますが、じつは高野山では弘法大師は亡くなったことにはなっておらず、今でも1日2回の食事が奥の院に運ばれています。

 

なぜ弘法大師が亡くなっていないとされているのかというと、弘法大師は835年(承和2年)3月21日に「入定(にゅうじょう:瞑想をして生きたまま仏になること)」をしたからです。

空海(弘法大師)は、835年(承和2年)3月15日に弟子たちを集め、3月21日に入定することを告げました。

この時「私は弥勒菩薩(みろくぼさつ)の浄土へ行き、弥勒菩薩がこの世に現れる56億7千万年後に弥勒菩薩と共にこの世に戻ってくるだろう」と告げ、3月21日午前4時に62歳で入定したとされています。

弟子たちは四十九日間絶えず供養をし、衣服を整えた後に高野山の奥の院の御廟に空海の体を移しました。

それ以降現在に至るまでの1200年もの間、空海は御廟で生きていて世界平和と人々の幸福を願い瞑想を続けているとされ、「生身供(しょうじんぐ)」という空海に食事を届ける儀式が1日2回行われているのです。

 

▪まとめ

「納めの大師」は、東京や京都では馴染み深い縁日の1つです。

酉の市で熊手を買い損ねた人がこの「納めの大師」で購入することもあるのだとか。

多くの功績を残し、今も人々のために祈り続けているとされる弘法大師は厄除けのご利益があるとして多くの人に信仰され続けてきました。

みなさんも、1年の厄落としと新しい年を迎える準備をしに「納めの大師」に行ってみてはいかがでしょうか。

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