「2月3日 ジュディ・オングの日」
■はじめに
ジュディ・オングと聞けば、どうしても1979年のレコード大賞受賞曲「魅せられて」が思い浮かびます。
若い人でも1度は耳にしたことのあるはずの名曲で、さだまさしの「関白宣言」がヒットしたのもこの年でした。
目 次
ジュディ・オングの日とは
日米文化交流の架け橋になったとして、米ネバダ州知事が1990年2月3日を「ジュディ・オングの日」に制定しました。
これはジュディが同年にラスベガスでショーを開催したことがきっかけとなったもので、ジュディは台湾出身ですが1972年には日本に帰化しているため「日米」文化交流ということになりました。
■ジュディ・オングの日の意味と由来
ラスベガスのショーくらいで日米文化交流とはいささか大袈裟で、知事がどういうつもりで制定したのかはわかりませんが、あいさつ代わりのリップサービスだったようです。
と言うのは、この記念日は1回限りの記念日で、あくまで「1990年の2月3日はジュディ・オングの日」だったという扱いでした。
これなら、毎年いくらでも「○○○○の日」を乱発できますね。
日付の根拠もあやふやで、どうやら知事が宣言した日が2月3日だったことから、その日が選ばれたということだったんでしょうか。
■ジュディ・オングの日のイベント
この「ジュディ・オングの日」は日本国内で知る人もなく、ジュディのファンクラブも相手にしていないようでした。
ジュディ・オングの日の雑学
▽ジュディは多才、木版画家としても世界に名を成す活躍
ジュディ・オングは1950(昭和25)年1月24日、台湾の台北市で生まれ、2歳時に父親の仕事の都合で来日し、東京の中華学校で母国語である台湾語、中国の標準語の北京語を学びました。
その後、アメリカンスクールで英語を習得、上智大学ではスペイン語をマスターし、5カ国語を話せるそうです。
筆者の世代はどうしても女優・歌手のイメージが強く、しばらくTVで見かけないため、どうしているんだろうと思っていましたが、多才な彼女、なかなかどうして多忙な毎日のようです。
ジュディは1975年の日本版画展入選を皮切りに、「日展」入選や「白日会」出品、海外での木版画展開催など、木版画家としての活躍は毎年途切れることなく続いています。
また、開発途上国の子どもを支援するワールドビジョン・ジャパンの親善大使や、ポリオ根絶大使、介助犬サポート大使なども務め、1月にはバースデーライヴを開催するなど、まさに「八面六臂」(はちめんろっぴ)の大活躍です。
▽なぜ日本の統治下だった台湾が親日なのか
日清戦争の結果、1895年に台湾は日本統治下時代に入りました。
それまでの台湾は中国本土から見放された土地で、インフラや教育も手つかずといった状態でしたが、日本政府は鉄道や道路、港湾の整備、ダム建設、学校教育体制の整備、農作物の品種改良、国民生活の向上等々、次々に台湾の近代化事業に着手しました。
これによって台湾は中国本土に負けないほど近代化されましたが、日本の敗戦によって1945年、台湾は日本の手から離れることになります。
しかし日本政府が50年間に台湾にもたらした近代化の記憶は、現在の台湾の人たちに引き継がれているようで、台湾が親日と言われる理由になっています。
台湾に住む20歳以上を対象にした調査では、日本はシンガポールに次いで第2位の好感度(84.6%)を得ていることがわかりました。
地震に悩む島国同士でもあり、いざという時の支援態勢は目を見張るものがあります。
1999年の台湾大地震(M7.7)の際は日本の救助隊が一番早く駆けつけ、東日本大震災では台湾から250億を超す義援金が寄せられるなど、テレビ番組や旅行先ばかりではない「信頼」で結ばれた関係が築かれているようです。
■最後に
番組改編期や年末になると、時代ごとのヒット曲を特集した番組が多くなって、懐かしい映像を見ることができます。
「魅せられて」もこういった企画でしかもう見ることはできそうにありませんが、もしNHK紅白の方針が一変すれば、「魅せられて」ほか多くの名曲をリアルで見ることができるんですが。
若い人が大みそかにテレビの前にいる時代じゃあないと思いますね。
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