「3月9日 緑供養の日」
■はじめに
職場の片隅にある観葉植物の鉢は壁に掛けられた絵画同様、見慣れてしまえばあって当たり前、気にする人もいないようです。
ある日、その観葉植物(名前はとうとう覚えずじまいでしたが)が何かの都合で撤去され、ぽかんとあいたスペースに気がついてみると、何やら物足りなさを覚えたものでした。
3月9日の「緑供養の日」はそんな観葉植物たちが主役です。
目 次
緑供養の日とは
会社や店舗にある観葉植物はほとんどがレンタルですが、レンタル業者がいくら丁寧にメンテナンスしても、傷ついたり劣化するのは避けられず、かなりの量が毎年廃棄されています。
そんな観葉植物に感謝の意を込め、供養しようと1998(平成10)年にN.S.Bコーポレーション(現グリーンシャワー)が3月9日を「緑供養の日」に制定しました。
■緑供養の日の意味と由来
緑の「み(3)」、供養の「く(9)」から3月9日になったそうで、ちょっと工夫の足りない語呂合わせですが、ありがとうのThank Youからでもあると言われれば、まあまあ納得です。
しかし、いきなり「緑供養の日」と聞かされても、あいまいで何の記念日だかわかりません。
ここは手堅く「観葉植物供養の日」とすればすぐに意図が伝わるんですが…。
■緑供養の日のイベント
当然ながら(株)グリーンシャワーは毎年のこの日に供養祭を執り行っていますが、写真を見た限りでは、ごくごく内輪の儀式のようで、一般の人の姿は見えませんね。
緑供養の日の雑学
▽日本の観葉植物文化は家康への献上品から始まった
日本の観葉植物文化は家臣が徳川家康に万年青(おもと)を献上したのがきっかけで始まったと言われています。
万年青は関東から沖縄にかけて自生するスズラン亜科の常緑多年草で、葉の形や大きさ、斑(ふ)、柄など多種多様です。
自生の万年青は観葉に耐えうるような姿ではないので、江戸時代の万年青は今では古典園芸植物なんて言われていますね。
会社にあった観葉植物は(たぶん)ゴムの木だったせいか、つい大きな鉢に2m近い姿を思い浮かべてしまいますが、丸いサボテンのような小ぶりの鉢植えが家庭では好まれるようです。
話を江戸時代に戻すと、家康が万年青を気に入ったかどうか定かではありませんが、その後、栽培に工夫を凝らして、斑の入れ方や色合い、形などを競うようになりました。
今日のように家庭のリビングや窓のフラワーボックスに観葉植物が置かれるようになったのは戦後のことで、住宅の洋風化に伴って急速に普及しました。
▽奈良時代は緑が青だった
たしかに緑なのに「青信号」「青汁」「青リンゴ」など、緑と青の区別はどうなっているんでしょうか。
この答えを知るには日本の歴史を遡らなくてはなりません。
奈良や平安時代は色を識別する言葉が「白し」「赤し」「青し」「黒し」の4つしかなかったので、緑から紫、灰色までをひっくるめて「青し」と表現したそうですから、緑、紫、灰、黄などの正確な表現はできなかったんですね。
今では白い、赤い、青い、黒いといった形容詞で「○い」と言いますが、緑い、紫い、灰い、黄いとは言わず、「色」をつけて緑色、黄色などと名詞になっています。
奈良時代から刻み込まれた色彩表現が、日本人の情緒の奥深くに浸透していて、緑を見ると思わず「青々とした」なんて言ってしまうのかもしれません。
雲を「青雲」と表現するのも同じことなんだと思います。
ちなみに、昭和5年に信号機が設置された際の法令では「緑色」と表記されていましたが、その後、青と緑の混同を日本の習慣(?)として、正式に青信号と呼ぶようになりました。
■最後に
500色の色鉛筆があるそうです。
よほどの人でなければ微妙な色合いの違いを認識するのは難しく、全部の色を使いこなすのも至難の技で、実用よりも面白グッズに近そうです。
また500本の色の名前も「赤○号」では味気なく、洒落に富んだメーカーはそれぞれに
・シーツを干す朝の色(CLEAR WASH)
・マヤ人のことづてを刻む石碑色(MAYAN RUINS)
・夢見るお姫さまの秘密の日記色(PRINCESS DIARIES)
・「キスする?」そんな顔しちゃ断れないの色(SCARLET POUT)
・寡黙な26時色(MIDNIGHT WALK)
等々、楽しそうな名前がつけています。
色を当てるのは難しそうですね。
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