「10月17日 沖縄そばの日」
■はじめに
何も知らずに初めて「沖縄そば」を目にする人は、一瞬「エッ?」という表情をすると思います。
口に入れたときも、やはり同じような表情になるはずですね。
そばであって、そばではない沖縄のソウルフード「沖縄そば」の話です。
目 次
沖縄そばの日とは
1978(昭和53)年10月17日、すったもんだの末に「本場沖縄そば」の名称表示が登録許可されました。
これを記念して、1997(平成9)年に沖縄生麺協同組合が10月17日を「沖縄そばの日」に制定しました。
登録許可から制定まで19年、その間、だれも記念日を思いつかなかったんでしょうか。
■沖縄そばの日の意味と由来
中国から沖縄に中華麺が伝えられたのは450~500年前と言われています。
そのころは高級品で宮廷料理だったものが一般に浸透したのは明治後期で、今のお年寄りなら耳に懐かしい「支那そば」とも呼ばれていました。
大正時代になると、この支那そばの店は増えたものの、太平洋戦争で今度は激減してしまいました。
戦後、ようやく小麦粉が出回るようになって、支那そば店も復活し、このときから「沖縄そば」と呼ばれるようになりましたが、もし「沖縄ラーメン」としていたら、後のすったもんだは起きませんでしたね。
騒ぎの始まりは、沖縄の本土復帰の4年後、沖縄生麺協同組合に対し、公正取引委員会が沖縄そばは「そば」ではないため、今後一切「そば」の文言使用を禁ずる旨の通告を出したことです。
「生めん類の表示に関する公正競争規約」では、「そば」と謳うからには原料のそば粉を3割以上使用しなくてはならず、そば粉を全く使用していない沖縄そばはこの規約に抵触することになります。
これでは一夜にして沖縄そばを「沖縄ラーメン」とか「沖縄中華麺」と改称しなくてはならず、「沖縄の食文化を守る」というスローガンを掲げて、協同組合理事長を先頭に公正取引委員会をはじめ、関係各所との折衝ならびに嘆願の日々が始まります。
よそ者には名前が「そば」から「ラーメン」に変わるだけで、食文化が変わるとも思えませんが、数か月の役所日参を思えば、県民にとっては切実だったんだろうと思います。
歴史、特に太平洋戦争時や、それ以後を考えると、東京からのお触れ1枚で郷土の料理の名前変更を強要されることにガマンがならなかったのかもしれません。
とにかく、この努力が実って1977年に「沖縄県内だけに限る」という条件付きで、「沖縄そば」の名前が認可されましたが、それでもなお県外でも売るべく交渉する過程で、同規約の別表に定める「名産・特産・本場等の表示」に特別名称として「本場沖縄そば」を登録する案が生まれ、1978年10月17日、めでたく認証されました。
これにて一件落着!
■沖縄そばの日のイベント
毎年、「沖縄そばの日」前後には、県内各所で沖縄そば作り体験や、抽選会などが開催されています。
中でも、美ら海水族館のある本部町は、県内初の「沖縄そばの町宣言」をしたこともあって、同町80店の「そばフェア」は異様な盛り上がりを見せているそうです。
沖縄そばの日の雑学
▽「名産・特産・本場等の表示」
各地の麺が「名産・特産・本場等の表示」中に認証されるには、原料や製法などがうるさく規定されています。
現在、登録されている麺は札幌ラーメン、盛岡冷めん、甲州ほうとう、信州そば、名古屋きしめん、出雲そば、さぬきうどん、長崎チャンポン、長崎炒麺、沖縄そばの10種です。
では、どんな具合にうるさいのか、沖縄そばの場合は次の通り。
*当然ながら、沖縄県内で製造されたもので、手打ち式
*原料の小麦粉は、たんぱく質11%以上、灰分0.42%以下
*加水量は、小麦粉の重さに対し34%以上、36%以下
*かんすいはボーメ2°~4°、食塩ボーメ5°~10°(ボーメとは液体の比重単位)
*熟成時間は30分以内
*麺の厚さ1.5~1.7mmで、30mmの幅から10~12本の麺を切れること
*裁断された麺は、ゆでる前に必ず手もみをする
*ゆで水のpHは8~9で、約2分以内で十分にアルファー化されていること(アルファー化とは、でんぷんをゆでたり蒸したりして、胃で消化できる状態に変化させること)
*油処理してあること
あれっ、スープについては触れられていませんね。
そりゃあ、そうですね、麺の規定ですからね。
スープの味は自由自在、それがお店の売りと腕の見せどころになりますね。
■最後に
筆者の行動半径では、沖縄そばにはお目にかかれませんので、食レポの報告を記せないのが残念です。
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