「11月17日 将棋の日」
■はじめに
コンピュータvsプロ棋士の話題が一段落した後、若き天才棋士の登場で、再び棋界が沸き返っています。
各地の将棋教室も、次代を背負う幼い棋士でにぎわっていますね。
目 次
将棋の日とは
1975(昭和50)年、日本将棋連盟が将棋の普及、発展のために、11月17日を「将棋の日」に制定しました。
■将棋の日の意味と由来
17世紀ごろから江戸城内の黒書院にて、将軍の御前で行われていた御城将棋を、将棋を愛好していた8代将軍の徳川吉宗(1684~1751)が、旧暦11月17日を「御城将棋の日」として制度化し、1716(享保元)年から将棋の家元である大橋本家、大橋分家、伊藤家による御前対局が年1回、この日に開催されることとなりました。
この御城将棋は1861(文久元)年まで続けられ、棋譜の多くが残されています。
■将棋の日のイベント
「将棋の日」が制定された1975年、芹沢博文九段が東京・蔵前国技館で1回目の「将棋の日」のイベントを企画し、8000人もの将棋ファンを動員しました。
イベントの目玉企画は、中原誠vs大山康晴の十段戦(竜王戦の前身)第1局の一部が土俵上で公開対局されたことで、タイトル戦の公開が当時としては異例でもあり、NHKの中継もあったことで大好評を博して、以後、毎年「将棋の日」前後には全国各地持ち回りでイベントが開催されています。
2018年は11月23、24日の両日、将棋の駒で有名な山形県天童市で開催され、渡辺明棋王、森内俊之九段、佐藤天彦名人など6人の女性棋士を含む総勢19人の棋士が参集して、初心者教室、多面指し、サイン会、交流レセプションといった定番企画から、棋士と一緒に将棋をモチーフにしたスイーツづくり、市内観光などを楽しむ企画まで盛りだくさんの内容になっています。
この一部はNHKが収録していますが、放映は忘れたころの年末で、Eテレでもあるため、気がつかない人も多いようです。
いずれ、藤井聡太七段がイベントに登場すれば、「将棋の日」も一気にメジャーな記念日になることでしょう(そのころ七段は通過していますね)。
将棋の日の雑学
▽駒落ち戦(ハンデ戦)
将棋はトランプと違って運さえ良ければという勝負ではないので、実力差が歴然なら何回やっても勝敗の行方は決まっています。
それではお互いに面白くないので、強いほうの人の駒の一部を取り除いて実力差を埋め、接戦になるようにする「駒落ち」戦があります。
つまりハンデ戦で、実力差に応じて落とす駒の数や種類が異なりますが、プロ棋士戦では行われません。
一般的な駒落ちは8種類で、一番小さなハンデは弱いほうが先手で始めるもので、次は左側の「香車」落ちとなり、次いで落とすのは「角」「飛車」「飛車と左の香車」「飛車と角(2枚落ち)」「飛車と角と香車2枚(4枚落ち)」「飛車、角、桂馬2枚、香車2枚(6枚落ち)」となります。
この他にも、王将と9枚の歩だけという「10枚落ち」、王将1枚だけで戦う「裸王」もあるそうですが、これは超初心者を楽しませるための将棋のようです。
また、相手にあらかじめ自分の飛車と角を持ち駒として渡しておく「駒渡し」もあります。
ハンデが減っていくことが、実力向上のバロメーターになりますね。
▽将棋駒の最高級品とは
江戸時代に将棋は庶民にまで広がっていましたが、駒は余った木片を使ったような味気ないものでした。
その後、明治から大正にかけた将棋ブームは、全国的に有名な「将棋指し」を誕生させると同時に、「近代将棋駒の祖」と言われる豊島龍山によって芸術的な駒が作られました。
この豊島龍山という名は駒師の号で、浅草の将棋好きな材木商である豊島龍山と数次郎の親子2人を指すそうです。
では、その龍山親子が極めたとされる「究極」の駒とは?
まず、伊豆諸島・御蔵島の黄楊(つげ)の木を10年寝かせ、乾燥させてから駒に加工しますが、木目模様や色合いを統一するために、一組(40枚)の駒は1本の木からでなくてはなりません。
この木は根に近いところに「根杢」(ねもく)という複雑な模様があって、この模様が「虎杢」(とらもく)や「銀目」「孔雀杢」と呼ばれる芸術的な味わいを醸し出しています。
次に書体ですが、今日、数ある書体のほとんどは、龍山が後水尾天皇の書を筆写した「錦旗」(きんき)という書体から生まれています。
そして駒が美しく見える極めつけは、盛り上げた漆のつややかさと立体感から生まれる気品で、これも龍山考案の「盛り上げ駒」と言います。
現存する龍山作の駒は100万円出しても買えないと言われていますね。
■最後に
最高級の将棋盤はカヤの木が使われ、脚はクチナシの実を模して作られています。
これは「勝負に口を出すな」という意味だそうです。
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