「1月9日 とんちの日」
■はじめに
辞書によれば「とんち」とは、とっさの場合にすばやく働く知恵、機知、機転、ウイットのことで、漢字では「頓智」または「頓知」と書きます。
「とんち」と聞けば、ほとんどの人が「一休さん」を思い浮かべることでしょう。
目 次
とんちの日とは
とんち→一休さん→19さん→1月9日=とんちの日
だれが言い出したのかは不明ですが、99点の語呂合わせで1月9日が「とんちの日」となっています。
1点減点は「さん」を切り捨てざるを得ないところです。
また、この日を「クイズの日」と呼ぶ人もいますが、とんちとクイズは似て非なるものですね。
■とんちの日の意味と由来
一休さんは1975(昭和50)年から1982年にかけて296話のアニメがTV放映され、昭和の癒しアニメ系のトップアイドルでしたが、その説話は江戸時代から広く楽しまれていたそうです。
もっとも、こんなにたくさんのとんち話が残されているはずもなく、多くは後世に作られたもののようですが、有名な「屏風の虎」や「このはし渡るべからず」は本当のようです。
この一休さんのモデルは実在しており、室町時代の禅宗・臨済宗の僧侶「一休宗純」(1394~1481)がその人で、仏教で禁止されていた飲酒、肉食など放蕩の限りを尽くし、「破戒僧」とか「風狂の僧」と呼ばれていましたが、その一方で漢詩や書に優れた文化の人でもありました。
■とんちの日のイベント
「とんち大会」があってもよさそうですが、そんな話は聞いたことがありません。
回答もたいへんそうですが、問題を作るほうがもっとたいへんそうですね。
とんちの日の雑学
▽一休さんの実像
一休宗純の母は後小松天皇の寵愛を受けた側室と言われていますが、誹謗中傷によって宮中を追われ、一休さんは小さな庵で生まれました。
その後、6歳時に出家して「周建」と呼ばれ、17歳で「宗純」という戒名を得て、25歳の時に大徳寺の高僧からもらった法名が「一休」でした。
この「一休」の由来は、高僧から今の境地を問われた際に、
「有漏地より無漏地へ帰る一休み 雨ふらば降れ風ふかば吹け」
と詠んだことから、悟りの境地に達したと認められて「一休」の名が与えられました。
「人生は無漏地(穢れや煩悩のない境地)へ向かうまでのひと休みをしているだけなので、雨が降ろうと風が吹こうと、短い一生だから気にすることはない」
これが一休さんの悟りの境地ですね。
一休さんの時代は戦乱、天変地異、疫病などの苦難続きで、仏教も形骸化して、破戒僧続出の時代でもありましたが、一休さんは各地を行脚し、歌を詠み画を描く自由人として88歳まで生きています。
戒律破りや奇妙な言動も多く「風狂」と呼ばれましたが、後の研究で「風狂」とは仏教界への批判と抵抗を背景とした悟りの境地と解釈されています。
一休さんの実像は、弟子たちが「一休和尚年譜」にまとめており、一休さんの逸話や名言はここから引用されたものです。
▽発想の転換
発想の転換が即座にできれば、あなたも「とんち名人」になることができます。
一休さんは固定観念や先入観にとらわれない柔軟な思考回路を持っていましたね。
発想の転換がひところよく言われ、シンポジウムなどでその実例に挙げられるのが、「K&K缶つま」という高級缶詰です。
K&Kは素材にこだわり、高級な食材を使用した缶詰を開発しましたが、100円程度が相場にもかかわらず、平均500円の値段設定で、中には5千円の松坂牛大和煮、1万円の気仙沼産ふかひれといったトンデモナイものもありました。
当然、売れるはずもなく低迷しましたが、この高級缶詰を酒のつまみとしてシリーズ化、パッケージも洗練されたものに変更してブランド化しました。
高い缶詰として開き直ったとも言えるでしょう。
そして、この戦略の急所は、缶詰売り場から離れて、お酒のコーナーに置いてもらうよう交渉したことです。
500円の値段が高いと感じさせないために、高級チーズやキャビアなどと並べれば、そう高価な印象を持たれずにすみます。
この作戦が大当たりし、初年度から1億8千万円を売り上げたそうです。
缶詰は缶詰売り場、という固定観念から抜け出せたことが成功につながりました。
■最後に
一休さんが亡くなる間際、弟子たちに「どうしても困った時に開けるように」と手紙を残しました。
その後、弟子たちが困り果てた場面でその手紙を開封したところ、
「大丈夫だ、心配するな、なんとかなる」と書かれてあったそうです。
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