「2月16日 天気図記念日」
■はじめに
気温や湿度は計測器が明確な数字を示しますが、晴れか曇っているかは人によって判断の分かれるところです。
気象庁の定義によれば、見上げた空全体に雲が9割以上あれば「曇り」で、それ以下なら「晴れ」、1割以下であれば「快晴」としていますが、判断が係員の目によるものなので、100%の客観データとは言い切れませんね。
目 次
天気図記念日とは
1883(明治16)年2月16日、日本に雇われたドイツの気象学者エルウェン・クニッピング(1844~1922)が東京気象台(現気象庁)で、日本初の天気図を作成したことを記念して2月16日は「天気図記念日」とされています。
■天気図記念日の意味と由来
明治政府は鉄道敷設のために来日したイギリス人技師の建議によって、1873(明治6)年に気象台開設を決定、イギリスやイタリアからの観測機器調達と設置を終え、1875年6月1日、現在の東京・港区のホテルオークラあたりにあった内務省寮内の一角で観測が始まりました。
やがて助手の日本人スタッフも増え、彼らは観測技術を習得すると全国に設置されていた観測所へ移って行きましたが、当時はまだ観測をするだけであり、予報はおろか天気図さえ作成されませんでした。
しかし、観測拠点が増えたことから、観測情報が気象電報で届けられるようになり、前日の14時、22時、当日6時観測の気圧、風向、風力、雲向、雲速、気温、天気、24時間雨量などが、1日1回にまとめられて全国22の観測所から送られてきました。
この観測体制が整わなければ、明治16年2月16日の天気図作成、印刷、発行は不可能でしたね。
■天気図記念日のイベント
気象庁は観測開始の6月1日を「気象記念日」と制定しており、この日には毎年、記念行事を催していますが、2月16日の「天気図記念日」はだれが提唱したのか不明で、イベントの類は見当たりません。
天気図記念日の雑学
▽戦時の天気予報は一級軍事秘密
日常生活に欠かせない天気予報は、憲法で保障された「知る権利」に含まれているそうで、気象庁が発表する予報は、約200か国・地域が共有する観測データをもとに作成されています。
しかし、戦争が起こると、天気予報は一級の軍事機密となるため、戦争当事国の観測データが空白になってしまいます。
日本でもハワイの真珠湾攻撃と同時に、中央気象台長(現気象庁長官)あてに軍から「気象報道管制実施」が通告され、観測データ、天気予報の全てが軍事秘密となりました。
また、1950(昭和25)年6月に始まった朝鮮戦争では、中国が参戦して以後、中国からのデータが入らず、日本のすぐ西に位置する広大な大陸データの欠如は、日本の天気予報の精度に大きく関わりました。
このため、米軍の航空機が上空から観測したデータの提供を受け、地上の数値を推計して予報を作成したそうです。
今も戦争や内紛は絶えることなく、人工衛星のデータで一定のカバーはできるものの、やはり地上の観測データは欠かせないと気象関係者は言っています。
▽空からカエル、魚が降ってくる「ファフロツキーズ現象」
2009(平成21)年、石川県内各地で空からオタマジャクシが大量に降ってくる現象が繰り返し起こり、全国的なニュースになりました。
また、札幌市では体長7センチほどの魚が約40匹降り、中国・青島市でもタコ、エビ、イカなどが降ったそうです。
同様の現象は記録に残っている1800年代以降、世界中で起きており、インドでは日干しの魚が数千匹、雲ひとつなかったある日のイギリスでは生きた魚が数百匹、フランスでは2日間ヒキガエルが降り続き、アメリカではワニまで降る有様で、
他にも鳥や虫、亀、植物、お金などが報告されています。
この現象は「falls from the skies」(空からの落下)からの造語「FAFROTSKIES」(ファフロツキーズ)と呼ばれています。
さて、この原因ですが、竜巻で巻き上げられた、鳥が上空で獲物を落とした、飛行機の貨物室から落ちた、人間のイタズラ、錯覚説等々が唱えられていますが、どの説も矛盾や不自然なところもあって決め手に欠けていますね。
2016年5月8日の甲子園球場、阪神対ヤクルトの6回裏、レフトのバレンティンの目の前に魚が降ってきたことがありました。
ファンのイタズラではなく、正真正銘のファフロツキーズ現象で、これほど多くの目撃者がいるのは珍しいことでした。
残念なことに1匹だけだったので、世界中の話題にはなりませんでした。
■最後に
日本初の天気予報の発表は、初の天気図作成の翌年、明治17年6月1日で、その予報はと言えば、
「全国一般風の向きは定まりなし、天気は変り易し、但し雨天勝ち」
というものでした。
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