「3月11日 パンダ発見の日」
■はじめに
一般に「パンダ」と言えば、人気者のジャイアントパンダを指すので、本稿の主役であるジャイアントパンダも、単に「パンダ」と称することにします。
日陰者扱いのレッサーパンダは、クマ科のパンダと違って、レッサーパンダ科レッサーパンダ属レッサーパンダ種という由緒正しい家柄なのに、ビジュアルでパンダに圧倒的な差をつけられてしまいました。
目 次
パンダ発見の日とは
1869年(明治2)年3月11日、フランス人神父アルマン・ダヴィド(1826~1900)が伝道中に中国・四川省の猟師から、白と黒の奇妙なクマの毛皮を見せられました。
ダヴィドがこのクマもどきの骨と皮を、パリの自然歴史博物館に送ったことで、パンダの存在が欧米に知れ渡りました。
学名は「Ailuropoda melanoleuca」というもので、カタカナをふってもらっても舌が回りそうもありません。
名前の前半は属名で古代ギリシャ語の「ネコ」と「足」の合成語、後半は「黒白の」という意味なんだそうです。
とにかく、そういうわけで3月11日は「パンダ発見の日」であります。
■パンダ発見の日の意味と由来
世界最古と言われるパンダの化石は、800万年前の中新世晩期の地層から発見されています。
のほほんとしたパンダの風貌からは想像も出来ないことですが、パンダはそんな長きに渡って過酷な生存競争を生き抜いてきたんですね。
「生きている化石」とも言われますが、あながちオーバーな表現でもないようです。
しかし、その存在が欧米に知れ渡ったことで、中国の山奥で暮らしていたパンダにとって受難の日々が始まりました。
欧米でパンダが話題になるにつれ、実際に見てみよう、捕まえようということで、パンダの生息地に次々と人間が足を踏み入れ、乱獲競争が始まります。
さらに、1920年代になると、パンダは欧米人のスポーツハンティングの的にされ、繁殖率が低いために、あっという間に絶滅の危機を迎えます。
その後、1930年代に生け捕りにされたパンダがアメリカの動物園に運ばれ、「かわいい」と評判になったことが転機となり、パンダ迫害の歴史は終焉します。
このアメリカでのパンダブームを知った中国政府は、外国人が中国の動物を持って帰るのは「主権侵害」と言い出し、1930年後半になるとパンダの禁猟を決定します。
もちろん、中国の言い分はいちいちごもっともで反論のしようもありませんでしたが、このころからパンダの人気を利用した「パンダ外交」を思いついたフシもありますね。
それ以降、各国からパンダ譲渡の要請があれば、それを外交交渉の駆け引きに利用しています。
1972(昭和47)年、日中国交正常化を記念して「カンカン」「ランラン」の2頭が譲渡され、一般公開初日には6万人が上野動物園に押し寄せ大騒動になりました。
その後、ワシントン条約によって、絶滅の恐れがあるパンダは他国に譲渡できなくなりますが、研究のための貸与は可能であるため、各国は「保護のための費用」というレンタル代金を中国に支払っています。
オス、メスのペアで年間1億円が現在の相場だそうですが、これも中国のハラひとつです。
2017年、上野動物園で誕生した「シャンシャン」も所有権は中国にあるため、2歳で返還する規定になっていますが、交渉の末、2020年12月まで延期されることが決まりました。
■パンダ発見の日のイベント
日本にはパンダ関係の出来事はいっぱいあって、フランス人が中国の山奥で毛皮を発見したことまでイベントにしなくても、十分間に合っているようです。
パンダ発見の日の雑学
▽パンダは外交使節、「健康」「かわいい」が選定基準
日中国交正常化記念に日本に贈られるパンダの選定を、中国政府から任された北京動物園の飼育責任者によると、選定基準は「健康」「かわいい」の2つで、パンダがかわいく見える条件は、目の周りの黒い模様が漢字の「八」に近いことだそうです。
パンダの性別判断は難しく、「カンカン」はもともとメスの名前がついていましたが、日本行きが決まってからオスとわかったので、「カンカン」という元気のいい名前に変えたそうです。
パンダは4歳を過ぎると里心がついて海外譲渡は難しく、また、穏やかな性格でないと「外交使節」失格なので、選定作業の気疲れはたいへんだったようです。
■最後に
2019年、四川省のパンダ保護区で、全身が真っ白な野生のパンダが発見されました。
身体に斑点もなく、目の周りも黒くなくて、ちょっと見た目が寂しく、ホッキョクグマの子どもが歩いているようです。
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