「4月16日 女子マラソンの日」
■はじめに
マラソンやランニング熱は高まる一方で、ウルトラマラソンからハーフ未満やオフロードなどを含めると、2019年に開催されたマラソン、ランと名がつく大会は、496にも上っています。
目 次
女子マラソンの日とは
1978(昭和53)年4月16日、東京・多摩湖畔で開催された「女子タートルマラソン大会」が、日本初の女子フルマラソン大会であったことを由来として、この日が「女子マラソンの日」となっています。
■女子マラソンの日の意味と由来
大会の主催者は1973(昭和48)年に、中高齢者の健康保持・増進を目的として設立された「日本タートル協会」で、同協会の前身組織「日本高齢走者協会」は1972年から「タートルマラソン全国大会」を開催していました。
「タートルマラソン」(turtle marathon)とは健康維持を目的に、スピードを競わず亀のようにゆっくり走ることをコンセプトとした和製英語です。
タートルマラソンはその後、世界大会や国際大会と銘打って毎年開催され、また、障害者の「バリアフリータートルマラソン」も合わせて開催されるようになり、今では参加者が1万人を超える規模となっています。
現在は男女共通種目としてハーフマラソン、10km、5km、ウォーキング5kmと親子ペア1マイルの5種目が、荒川の右岸で毎年開催されています。
女子マラソンの先駆けとなったタートルマラソンですが、今や男女ともにフルマラソンは全国各地で多く開催されるようになったため、フルマラソンの役目は終了しました。
■女子マラソンの日のイベント
「女子マラソンの日」としてのイベント開催はないようです。
女子マラソンの日の雑学
▽女子フルマラソンの先駆け
1978年に東京・多摩湖畔で開催された日本初の女子マラソンには79人が参加し、優勝者は2人の子どもを持つお母さん、外園イチ子さん(当時33歳)で、自身初のフルマラソンを3時間10分48秒で走り抜きました。
高校時代、足の速かった外園さんはご主人の勧めで「横浜市民ロードレース」へ参加し、ほとんど練習もなしで3kmを走り、予想もしなかった5位の好成績を収めたことで、走る意欲に火がつきました。
練習を重ねたその後、1975年の青梅マラソン10kmから外園さんの市民ランナーとしてのキャリアが始まり、1978年の青梅マラソン30kmの優勝に続き、多摩湖畔でも優勝して、女子マラソン史に名を残すことになります。
79年の青梅マラソンを連覇したことで、専門家のアドバイスを受けながら、練習や食事のコントロールなど、本格的なトレーニングを開始した外園さんは、日本各地にとどまらずイギリスやドイツのレースにも参加し、日本の女子ランナーを代表する存在となりました。
このころになると、フルマラソン大会にも女性の参加が認められるようになり、79年の別府大分毎日マラソンに出場した小幡キヨ子さん(当時22歳)が2時間48分52秒で、完走者252人中173位の成績を収めています。
これによって女子マラソン熱がさらに高まり、1979年には世界初の国際陸連公認の女子マラソン「東京国際女子マラソン」が開催されることになります。
外園さんは東京国際女子マラソンに参加した翌年、疲労骨折が判明し、同年にフルマラソンへ復帰して完走したものの、以前のような走りができず、大会から退くことになりました。
▽女子ランナーは厚底シューズに興味なし?
何かと話題の厚底シューズ、ナイキ「ヴェイパーフライ」の東京五輪での使用が認められました。
男子選手の多くがこの厚底を愛用していますが、女子にはあまり好まれていないようで、2020年1月の大阪国際女子マラソン優勝の松田瑞生選手(24歳)をはじめ、ほとんどの選手は非厚底シューズを履いていました。
その理由としてメーカーの関係者は「靴底のカーボンプレートで推進力が生まれる構造なので筋力が必要。このため女子には効果が薄い」と話しています。
また、「厚底シューズは非厚底より重いため」や、「厚底の反発効果は体格に応じるため」、「体重の軽い女子は厚底による衝撃吸収の必要性が低いため」などとも言われています。
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