「9月3日 ホームラン記念日」
■はじめに
今や、テレビ地上波でのプロ野球中継は絶滅寸前になっていますが、かつてのON全盛時代には連日、巨人の試合のテレビ中継がありました。
また、ラジオもほとんどの局が巨人戦を中継していて、なんでこんなムダなことをするんだろうと思ったものです。
目 次
ホームラン記念日とは
9月3日は「ホームラン記念日」ですね。
これは1977(昭和52)年のこの日、後楽園球場で行われた巨人vsヤクルト戦で、王貞治選手が通算756号本塁打を放ち、米大リーグのハンク・アーロン選手が持つ世界最多本塁打記録を更新したことにちなんだ記念日です。
数字のインパクトとしては「756」なんですが、7月56日というわけにはいかなくて、更新した日付を採用しました。
また、本塁打記録更新の2日後の9月5日には、日本初の国民栄誉賞が授与されたことで、
9月5日は「国民栄誉賞の日」になっています。
■ホームラン記念日の意味と由来
昭和中期、「子どもが好きなのは巨人・大鵬・卵焼き」なんて言われましたが、筆者も例外ではなかったので、毎日のようにテレビで巨人戦を観ていました。
余談ですが、7時に広島球場からの試合中継が始まると、東京はもう夜なのに、広島の空はまだ夕焼け前の明るさでした。
なるほど、経度の違いってこういうことなのかと実感した瞬間でした。
話を戻すと、もちろん筆者はこの756号本塁打の中継を観ており、バットが快音を立てた瞬間の歓声、映像もよく覚えています。
しかし、最も強く記憶しているのは、本塁打を打たれたヤクルトの鈴木康二朗投手が、打球の飛び込んだ右翼席を一瞥した映像です。
756号が出るのは時間の問題だったので、ファンやマスコミの興味は「誰が打たれるか」で盛り上がっていて、打たれた投手には「サイパン旅行ペアチケット」プレゼントのスポンサーまで現れる始末でした。
755号が出て以降、どの投手も勝負を避けていて、某球団の某エースに至っては、敬遠できない状況で王選手に打順が回ると、自ら降板を申し出る有様で、この場面も筆者は記憶しています。
どの投手も世界記録を打たれた投手として名を残したくない思いがあったそうですが、756号の話が出るたびに、鈴木康二朗投手を思い起こす野球ファンは決して少なくはないので、正々堂々の勝負に玉砕したんだと胸を張っていてほしいと思っています。
しかし、鈴木康二朗投手はサイパン旅行を辞退、これもひとつの矜持なのかもしれません。
■ホームラン記念日のイベント
そもそも、だれがどういう経緯で「ホームラン記念日」と言い出したのか、今となっては藪の中で、由来である756号をテーマとしたイベントはありません。
ホームラン記念日の雑学
▽ラッキーゾーン
最近はあまり耳にしませんが「ホームランは野球の華」と盛んに言われたこともあり、甲子園や神宮、今はない西宮と西京極の各球場などは、外野スタンド前にフェンスを設置して、本塁打が出やすいようにしたことがありました。
これが投手にとって悪名高きラッキーゾーンです。
その後、選手の体力向上や飛ぶボール、バットの品質改良による本塁打増と、五輪競技になった際の国際規格によってラッキーゾーンは撤去されました。
しかし、福岡ドームや千葉マリンスタジアムでは、従来のラッキーゾーンと異なる趣旨でフェンスを設置し、愛称をつけた特別席としていますが、外野が狭くなるのは同じですね。
▽ランニングホームラン
今は本塁打が飛び交う投手受難の試合を「空中戦」と言うそうですが、安全確実に得点を重ねる試合はスリルとスピードに欠けて、過剰な本塁打合戦は面白くないと言うファンも多いようです。
その点、ランニングホームランは打者走者のスピードと、外野手の動きを同時に見比べてハラハラする楽しみがあります。
しかし、今では野手の連携がしっかりしているので、外野手の間を抜いたくらいではランニングホームランにはならず、めったにお目にかかれません。
■最後に
かつて、飛距離が伸び、折れないので経済的ともてはやされて、少年野球や甲子園大会でも使用が認められた金属バットですが、芯を外した打球でも飛んでしまう、打球の速度が投手に危険などの理由から、金属バットの弊害が言われるようになりました。
アメリカでは危険性を重視し、すでに金属バットの規格に大きな制限がかかっています。
また金属バットは打撃技術の低下を招く弊害も声高に言われるようになっていることから、遠からず日本でも大きな規制が加えられると思います。
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