「9月13日 世界の法の日」
■はじめに
「法」は多くの人間の合意、あるいは時によって強大な権力によって定められるものであり、重力や太陽光など、人間の力の及ばない物理的現象とは異なります。
つまり、変えようと思えば、いくらでも変えることができますが…。
目 次
世界の法の日とは
1961(昭和36)年、法の支配を国際的に確立することで世界の平和を実現しようと、「法による世界平和に関するアジア会議」が東京で開催され、この会議で「世界の法の日」が提唱されました。
この4年後の1965年9月13日から「法による世界平和に関する第2回世界大会」がワシントンで開催され、9月13日を「世界の法の日」とすることが宣言されました。
「アジア会議」から「世界大会」へ、東京からワシントンへとグレードアップされ、アジアの存在感が世界にアピールされたことになります。
…と言いたいところですが、実際はそうでもないように思えます。
1965年と言えば東西冷戦の真っ只中、アジアの連中がアメリカで何を宣言しようと、東側が見向きもしないのは当然のことですね。
もっとも東側もそれに先立って「世界平和評議会」を設立して、核兵器使用禁止を求める「ストックホルム・アピール」をはじめ、ベルリンやブダペスト、ウィーンなどで発表したアピールを西側は冷ややかな目で見ていましたね。
■世界の法の日の意味と由来
東側の一大勢力に認知されない以上、この宣言もアジアのローカルキャンペーンに過ぎず、160を数える国連の国際デーをたどってみても、9月13日はすっぽり抜けていて、合格発表の掲示板を見ているような気分になりました。
当時の日本は平和運動に限らず、原爆反対や労働運動、演劇界なども右と左に分かれて激しく対立していたこともあって、この会議のその後の活動をたどることもできません。
■世界の法の日のイベント
イベントは日本が独自に決めた10月1日の「法の日」に実施され、忘れ去られる寸前の「世界の法の日」には何も起こりません。
世界の法の日の雑学
▽世界連邦構想
9月13日は「世界法の日」とも言いますが、それでは「世界法」の日とも解釈できて紛らわしいので、本稿は「世界の法の日」としてあります。
「世界法」という言葉は存在しますが、実体のない概念にしか過ぎません。
そもそも「世界法」が言われ出したのは、第2次世界大戦後の核兵器開発競争、大量配備に危機感を募らせた国際法学者が中心となり、各国を「世界連邦」という単一国家組織にする構想を発表しました。
そうなれば主権同士の対立がなくなって、紛争解決手段として戦争が発生することもありません。
世界連邦の下に行政府、議会、裁判所が創設され、条約に代わる「世界法」によって連邦が運営されるとしています。
▽国連憲章上は戦争のない平和な時代が続いている
かつて、自己防衛や損害の回復に限る戦争は正しい戦争と言われ、合法とされていましたが、「正しい」との解釈は玉虫色で戦争の多くには疑問符がついていました。
世界は2度の大戦の反省から、国連憲章で「武力による威嚇または行使を慎まねばならない」と規定し、国際法で明確に武力行使を違法としました。
しかし同時に、安保理決議がある場合や集団的自衛権行使の際には武力を用いることも認めています。
こうした規定に照らし合わせると、2次大戦以降、違法とされる「国家間の武力衝突」は発生しておらず、平和が続いていることになります。
アメリカがベトナムに介入したベトナム戦争は、集団的自衛権が根拠になっており国連憲章に違反せず、湾岸戦争は安保理決議に基づく多国籍軍の武力行使で規定上、戦争ではありません。
また、米同時多発テロから発生したアフガニスタン戦争は自衛権の行使、イラク戦争は安保理決議に基づいたもので、ロシアのクリミア侵攻もウクライナ国内の騒乱が発端で、国家間の武力衝突ではないとされたままです。
■最後に
法は国家の力によって、自由自在に解釈されているようにも思えます。
そして、国家の力とは今のところ、軍事力でしかないという悲しい現実も認めざるを得ないようです。
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