「7月2日 救世軍創立記念日」
■はじめに
社会鍋は冬の季語になるほど年末の風物詩として定着して久しく、主催する「救世軍」という組織の名もよく知られていますが、キリスト教のプロテスタント一派の団体で、組織が軍隊式編成だと聞くと、ちょっとした違和感も覚えてしまいます。
「救世軍」の正式名称は「社会福祉法人救世軍社会事業団」と言います。
目 次
救世軍創立記念日とは
「救世軍」は1865年7月2日、イギリスのメソジスト教会の牧師ウィリアム・ブース(1829~1912)がロンドンの貧しい労働者層に伝道するために設立した伝道会が1878年に改称したものです。
当時の教会は庶民にとって敷居が高かったため、ブースは身分に関係なく活動のみで評価される組織を目指し、教会の組織体系に軍隊の編成方式を取り入れたことから「救世軍」と命名されました。
「救世軍創立記念日」は「救世軍」に改称した日ではなく、ブースが最初に伝道会を立ち上げた日を由来としています。
救世軍創立記念日の意味と由来
「救世軍」は「救いを必要としている人々のために救世軍は存在している」を基本理念に社会福祉、教育、医療などの支援を世界中で展開しつつ、キリスト教の伝道にも努めています。
軍隊式編成は徹底していて制服、制帽、階級章をはじめ、組織内の呼称も軍隊に倣い、たとえば「教会」→「小隊」に、「信徒」→「兵士」、「牧師」→「小隊長」、「各国責任者」→「司令官」、「最高責任者」→「大将」などと呼ばれるので、これが違和感の原因かもしれません。
軍隊が当たり前にある外国と違って、日本はまだ軍に対する抵抗感がぬぐえない人も多いためと思われます。
ちなみに救世軍日本支部が開設されたのは1895(明治28)年9月22日で、もちろんこの日は「日本救世軍設立記念日」とされていますね。
2018年、アフリカのガボン共和国での活動が正式に開始されたことで、救世軍は世界129の国・地域に及んでいることになります。
救世軍創立記念日のイベント
救世軍が主催するイベントは士官任命式、創立記念コンサート、クリスマスコンサート等々、通年で開催されていますが、特に7月2日当日の式典はないようです。
興味のある人は「救世軍YouTubeチャンネル」で視聴できますね。
救世軍創立記念日の雑学
▽「社会鍋」の始まり
社会鍋の始まりは1894年、貿易の不振によって多くの船員が失業したサンフランシスコで、当地の救世軍連隊長(教区長)が今日の食事にも困っている船員の家族にスープを配ろうと資産家たちに寄付を依頼しましたが、思うようには集まりませんでした。
そこで繁華街に「救世軍のスープ接待にご協力を」と書いた看板と、三脚につるした黒い壺を設置、行き交う人たちに「恵まれない船員に同情を」と叫ぶと、たちまち壺はコインで埋まったそうです。
この壺が「クリスマス・ケトル」と呼ばれるようになり、翌年には米東部にも多くの壺が設置され、新聞紙上で「最新式の高尚な募金方法」と評価されると同時に、固く模倣を禁じる呼びかけもなされました。
その後、1900年代に入るとこの募金方法は、日本をはじめ世界中に広まることになります。
日本の歳末助け合い運動の始まりは、失業者が街にあふれた1906(明治39)年の日露戦争直後、日本救世軍司令官が金銭や衣類、おもちゃなどの寄付を呼びかけたことでした。
この呼びかけは実を結び、東京の困窮家庭に餅やミカン、足袋、書物などが配られ、運動は横浜、神戸、仙台など全国へ広がることになりました。
しかし、寄付を送ってもらう方法では限界があるため、より多くの寄付を集めようと米のクリスマス・ケトルを参考に、東京の主要な街角に集金用の鉄鍋をつるし、兵士が立って「通りがかりにできる慈善」をアピールしました。
この時はまだ「集金鍋」という味気ない名前で、その後「三脚鍋」「事前鍋」などと呼び名を変えて、1921(大正10)年12月に改称された「社会鍋」が定着して今日に至っています。
■最後に
以前、社会鍋は三脚と鍋の設置のために、各地で道路使用許可の下りないことが相次ぎ、JR構内からも公共性を問われて締め出される事態が起きました。
また素性の定かではない「競合相手」の団体も出現するなど、救世軍苦難の時代もあったようですが、現在は設置個所が減ったものの、「長年の慣例」として特別に許可されているようです。
7月2日は何の日?誕生日の有名人や星座、花言葉・運勢・性格は
他にもおもしろい記念日がたくさんあります!