「7月16日 外国人力士の日」
■はじめに
ようやく誕生した横綱稀勢の里もケガで短命横綱に終わり、次を期待された貴景勝も伸び悩み、朝の山は不祥事で1年間出場できません。
次を期待されているのはまたもモンゴル出身の照ノ富士、またしばらくはモンゴル勢の横綱時代が続きそうです。
目 次
外国人力士の日とは
1972(昭和47)年7月16日、大相撲名古屋場所で28歳のハワイ・マウイ島出身力士、高見山(ジェシー・クハウルア)が300年の相撲歴史上、初めて外国人として幕内優勝を成し遂げました。
この快挙を記念してこの日は「外国人力士の日」と称されていますが、だれが言い出したのかはわかりません。
■外国人力士の日の意味と由来
交通事故でフットボールを断念し、ハワイの運送会社で働いていた高見山は高砂親方(元横綱前田川)にスカウトされ、外国人が初めて角界入りしたということで注目を集めました。
大方の予想は長続きしないだろうというものでしたが、1964(昭和39)年3月場所(大阪)の前相撲(番付外)で初土俵、次いで序ノ口、序二段で連続優勝、快進撃とは言えないものの、3年後の3月場所に十両昇進を果たして、外国出身の外国籍としては初の関取(幕内と十両の力士)になっています。
十両では5場所連続で勝ち越し、翌年初場所(東京)に幕内に昇進、前頭上位と小結で27場所を経た後、1972年西前頭4枚目でついに外国人初の幕内優勝(13勝2敗)を飾ることになります。
表彰式では当時のニクソン大統領の祝電が読み上げられ、英語のスピーチが館内に流れたのも初の出来事でした。
高見山の優勝はこの1度だけで最高位は関脇でしたが、幕内連続出場1231回(歴代1位)、通算連続出場1425回(歴代4位)、幕内在位97場所(歴代3位)など息の長い活躍を続けました。
また、11人の横綱との対戦は歴代1位の記録で、そう言えば特に輪島とは相性が良かったようです。
1980(昭和55)年に日本国籍を取得していた高見山は、1984年の5月場所(東京)をもって引退し、高砂部屋の部屋付き親方として小錦をスカウト、1986年には分家独立して東関部屋を創設し横綱曙を育て上げました。
現在、日本の国技である大相撲には多くの外国人力士が在籍し、活躍していますが、これも高見山の活躍があったればこそと言えるのではないでしょうか。
■外国人力士の日のイベント
特に「外国人力士の日」のイベントは見当たりません。
外国人力士の日の雑学
▽高見山の活躍で大相撲が国際色豊かに
高見山の活躍が世界中に知れ渡ると、小錦(大関)、曙(横綱)、武蔵丸(横綱)や高見州、大和などハワイ出身力士10人のほか、アルゼンチンやブラジル、ヨーロッパからも相次いで入門が続き、一挙に角界は国際色豊かになりました。
しかし、脚が長く腰高の人種は相撲には不利で、大関にまで昇進した力士は2000年代以降の琴欧州(大関、ブルガリア)、把瑠都(大関、エストニア)、栃ノ心(大関、ジョージア)の3人しかいませんね。
また、日本の相撲がテレビ中継され、大相撲に似たブフという格闘技が盛んなモンゴルで新弟子を募集したところ、170人もの応募があり、その中から選ばれた6人が1992(平成4)年に来日しました。
その中にいた旭鷲山(小結)、旭天鵬(関脇、優勝1回)の活躍が、後に日馬富士、白鵬、鶴竜のモンゴル人横綱誕生につながります。
やはり、体形が日本人と似ているモンゴル人は、腰高の弱点とは無縁ですね。
▽外国人力士は日本語の上達が早い
日本にいる外国人スポーツ選手の中で、特に大相撲の外国人力士は日本語を覚えるのが早いと言われています。
これは親方や女将さん、兄弟子に毎日24時間囲まれ、タイムスケジュールに沿って食事の準備や掃除、兄弟子の面倒など、自分の稽古以外にも山ほどの雑務があるため、言葉がわからないとストレスがたまる一方なので、必死に覚えるしかなく、こんな共同生活は相撲界だけですね。
それに礼儀にもうるさい世界なので、自然と敬語も使えるようになり、白鵬のインタビューを聞いていても、きれいな発音の日本語で感心します。
■最後に
外国人力士が所属する部屋の親方の中には、出身国にちなんだシコ名を命名しようと知恵を絞っている様子がうかがえます。
たとえば、「把瑠都」はバルト三国出身で、エジプトからは「大砂嵐」、ロシア出身は「白露山」「阿夢露」(アムロじゃなくてアムール)、アルゼンチンは「星安出寿」「星誕期」などで、シコ名から出身国を当てるゲームができそうです。
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