ミツマタは少し肌寒い時期から春を感じさせる、黄色のかわいらしい花を咲かせます。
また、香りが良い花としても有名です。
そんなミツマタですが、日本では香りとともに古くから春の訪れを告げる花として、親しまれてきました。
目 次
ミツマタとは
万葉集にも春の花として描かれているミツマタ。
ミツマタは、2m程度の低木で、冬には葉を落とす落葉性の花木。
暑さに強く、また、日陰でも育つことから、比較的栽培しやすい花として人気があります。
日本では「ミツマタの花」という言葉が、3月から4月の季語として古くから親しまれていますが、原産は中国です。
黄色やオレンジ色の花が、新しい葉っぱが芽を出す前の枝に花開きます。
ミツマタの花は、小さな花が複数集まり、丸い形を作り、その様子は黄色のポンポンが枝先についているかのようです。
花には甘酸っぱい良い香りがあり、春先にこの香りを楽しむ人も多いです。
ミツマタの名前の由来
ミツマタは和名で、複数の漢字であらわされます。
「三又」「三叉」「三椏」「三枝」です。
ミツマタは、枝分かれするときに、必ず3つにわかれます。
これは、幹からわかれる場合も、枝からわかれる場合もどこからわかれても、かわりません。
必ず3つに分かれる様子から、ミツマタと名づけられました。
中国名は「結香(ジエシアン)」と言われます。
この名前は、ミツマタの良い香りからついたのでしょう。
西洋名は「Oriental paper bush」。
意味は「東洋の紙の木」です。
古くからミツマタが紙の原料として使われているため、「Oriental paper bush」とよばれるのでしょう。
学名は「Edgeworthia chrysantha(エッジワーシア クリサンタ)」です。
「Edgeworthia」は、植物学者のマイケル・パケナム・エッジワースの名前に由来しています。
ミツマタの花色が黄色やオレンジ色のため、黄色の花という意味をもつ「chrysantha」としたのでしょう。
ミツマタが誕生花となる日にち
2月15日、3月5日、3月20日
ミツマタの花言葉
「肉親の絆」「永遠の愛」「強靭」「壮健」という花言葉をもっています。
また、西洋の花言葉は「やすらぎ」、「芳醇」です。
「肉親の絆」「永遠の愛」は、ミツマタの枝のわかれ方からつけられたとされています。
必ず3本の枝に分かれ、その分かれた枝がみんなで支えあっているように見える様から由来します。
「強靭」「壮健」は、ミツマタの木の皮が、しなやかでとても強いため、つけられました。
西洋の花言葉である「やすらぎ」や「芳醇」は、ミツマタの花の香りが、人々を魅了し、やすらぎを与えてくれるものだったのでしょう。
ミツマタの色別の花言葉
黄色とオレンジ色の花をもつミツマタですが、色別の花言葉はないようです。
ミツマタの怖い花言葉
家族の絆や強さをあらわす花言葉を持っているミツマタですが、怖い印象の花言葉は持っていないようです。
古くから親しまれてきたミツマタ
ミツマタは中国原産の花ですが、古くから日本でも親しまれてきました。
ミツマタは、「サキクサ」と呼ばれていたとされています。
春の訪れを告げるかのように、先陣をきって黄色い花を咲かせるため、先に咲く草として「サキクサ」と名づけられたそうです。
また、縁起のいい花としても扱われていたため「幸草(サキクサ)」とも言われていました。
ミツマタが「先草」や「幸草」と呼ばれていた事がわかるのが、万葉集です。
歌人である、柿本人麻呂のヤマトうたで、ミツマタの花が、「先草」であり、「幸草」でもあることが表現されています。
また、ミツマタは古くから紙の原料として重宝されてきました。
ミツマタから紙が作られた事が記載された文献には、最も古い記録に、慶弔3年にミツマタを紙づくりに使用する許可を出した事が記されています。
明治時代には、比較的栽培しやすいミツマタを使った紙幣の開発が、行われるようになりました。
実際に紙幣として使われるようになったのは、明治12年です。
現在はミツマタ農家の減少などから、ほとんどを海外からの輸入品に頼っています。
2016年時点で、ミツマタを生産している県は、岡山、島根、徳島の3県のみです。
先陣をきって春を告げる花として、古くから親しまれてきたミツマタ。
かわいらしい花と魅了する香りで、人々を楽しませてくれます。
そんな見た目とは裏腹に、強靭な木の皮をもち、先人の知恵で紙へと加工され、私たちの暮らしに根付いています。
ミツマタの歴史を知ると、ミツマタに対する見方が少し変わりますね。