食用油の原料として有名なベニバナですが、それ以外にも様々なものに利用されてきました。
目 次
ベニバナとは
ベニバナ(紅花)はキク科ベニバナ属の一年草、もしくは越年草です。
地中海沿岸、エジプト経由で中国へと広まり、日本へは奈良時代に渡来してきました。
奈良県の藤ノ木古墳からもベニバナの花粉が発見されています。
草丈は50㎝~1mほどになり、葉はギザギザしていてトゲがあります。
花期は6~7月頃で花の色は最初は黄色で、しだいに紅色に変わっていきます。
種子の部分が食用油に使われており、リノール酸が多く含まれ、健康志向が高まる現代では注目を浴びています。
また、口紅の原料や染料、生薬としても利用されています。
ベニバナの名前の由来
ベニバナは古くから紅色の染料として使われていたことからこの名前がつきました。
別名で「末摘花(すえつむはな)」と呼ばれています。
これは茎の先(末)についた花を摘み取って色々な物に利用することからついたという説があります。
この他に「呉藍(クレノアイ)」とも呼ばれており、中国から来た染料という意味があります。
そして、この「クレノアイ」が変化して「紅(くれない)」という読み方にもなったようです。
また、英名では「サフラワー」と呼ばれています。
昔、ベニバナがサフラン(香辛料)の代わりに使われていたことから「サフラン」と「フラワー(花)」の言葉が混ざってこのような名前がつきました。
日本で言われているベニバナ油のことを海外ではサフラワー油と言います。
ベニバナが誕生花となる日にち
6月11日、6月13日、6月29日、10月30日
ベニバナの花言葉
ベニバナの花言葉は「装い」「化粧」「包容力」「情熱」です。
「装い」「化粧」の花言葉はベニバナが口紅や頬紅の染料として使われていたことからつきました。
ベニバナの色素は赤色と黄色のものがあり、赤色のものが紅色と呼ばれ、化粧品の染料になっています。
平安時代ではこの紅色は高級で貴重なものとされており、貴族の間でも大変人気のある色でした。
口紅は花びらから抽出した紅色色素を梅酢と混ぜて乾燥させて作り、頬紅は紅色色素と白粉と混ぜて作ったそうです。
このようにベニバナは化粧品の歴史に深く関わってきた花なのですね。
次に「包容力」という花言葉ですが、なぜこの花言葉がついたのか、はっきりしたことはわかっていません。
色々憶測してみると、幅広い用途に使われているベニバナの適応力が関係しているのでしょうか。
ベニバナは化粧品、食用油、衣類の染料、磁器の色付け、生薬など様々なものに利用されています。
「情熱」の花言葉は太陽のように鮮やかな紅色の花をたくさん咲かせることからついたのではないでしょうか。
山形県はベニバナが盛んに栽培されていたことから県花にもなっているのですが、昔に比べてベニバナ畑は減ってはいるものの、今でも何カ所かは残っているようです。
赤や黄色の色鮮やかなベニバナが一面に咲く景色は見る人に元気を与えてくれることでしょう。
ベニバナの色別の花言葉
ベニバナの色別の花言葉は特に無いようです。
ベニバナの怖い花言葉
ベニバナの怖い花言葉は特に無いようです。
ベニバナの言い伝え
ベニバナの別名である「末摘花(すえつむはな)」は源氏物語にも登場してきます。
常陸宮姫と光源氏が18歳だった頃の話です。
常陸宮姫は決して美人とは言えず、おとなしく堅苦しい性格だったため、源氏物語の中でも光源氏は彼女のことをあまり良いように書いていませんでした。
そして、彼女の鼻が赤いという意味で「末摘花(すえつむはな)」というあだ名までつけたのです。
ある時、光源氏はある咎(とが)で須磨に流されてしまします。
それから年月が経ち、須磨から帰ってきた源氏と常陸宮姫は再会します。
源氏は長い間、変わらず自分を待っていてくれた彼女に心を打たれます。
そして、生涯を共にしたということです。
見た目ではなく、彼女の内面に惹かれたという素敵なエピソードですね。