ミヤコワスレは、ミヤマヨメナという花の園芸種です。
太陽のほうを向き花開く、薄い青色の小さな花は、風情を感じます。
ミヤマヨメナの由来には、承久の乱で敗れ島に流された順徳天皇と、深い関係がありました。
目 次
ミヤコワスレ(都忘れ)とは
ミヤコワスレは本州、四国、九州に自生する花です。
キク科シオン属のミヤマヨメナという花の園芸種で、野山などで自生しています。
基本的には、日が当たり水はけの良い土地を好みますが、暑さには弱いです。
夏場などは日陰のある場所で、育成するのがいいでしょう。
花色は薄い青色やピンク、白、紫などです。
花びらが20枚程度あり、上を向いて開きます。
開花時期は4月から6月で、環境が良ければ翌年も花を咲かせる多年草です。
ミヤコワスレの名前の由来
ミヤコワスレの名前の由来は鎌倉時代にまでさかのぼります。
戦いに敗れ、佐渡島へと流された順徳天皇は、つねに都を恋しく思っていました。
そんな時に咲いていたミヤコワスレは、心の寂しさをうめてくれて、都が恋しい気持ちを忘れさせてくれたそうです。
ここから、ミヤコワスレという名前になりました。
西洋では「Gymnaster(ジムナスター)」と呼ばれます。
ギリシャ語で裸のという意味がある「gymnos」と、キク科の「Asteraceae」からつけられています。
キク科の植物は、タネを飛ばし繁殖させるために、種子に毛がつきます。
しかし、ミヤコワスレは、タネに毛がありません。
そのため、裸の意味がある「gymnos」がつけられたそうです。
別名には「野春菊(ノシュンギク)」という名前があります。
通常キク科の植物は、夏に花を咲かせますが、ミヤコワスレの開花期は春です。
そこから「ノシュンギク」という名前となりました。
ミヤコワスレが誕生花となる日にち
3月11日、5月13日、6月23日、8月1日
ミヤコワスレの花言葉
「しばしの憩い」「しばしの慰め」「短い恋」「また会う日まで」などです。
名前の由来と同じく、順徳天皇が都を恋しく思う気持ちを、花を愛でることで忘れられました。
このことから、「しばしの憩い」や「しばしの慰め」といった、順徳天皇の思いが花言葉につけられています。
また、いつか都に帰りたいという思いから「また会う日まで」という花言葉がつけられたそうです。
ミヤコワスレの色別の花言葉
花色に薄い青やピンク、白などがありますが、色別の花言葉はつけられていないようです。
ミヤコワスレは、ミヤマヨメナの園芸種に分類されます。
ミヤマヨメナという名前は、深い山に生息し、ヨメナという花に似ていることからつけられています。
ミヤマヨメナの花言葉は、「しばしの慰め」や「別れ」で、ミヤコワスレと同じです。
また、ミヤコワスレはノギクの見た目に、よく似ていると言われます。
そんなノギクの花言葉は、「清爽」「障害」です。
「清爽」とは清くさわやかなことを表します。
白色のノギクが、真っ白でさわやかに見えたのでしょう。
ミヤコワスレの怖い花言葉
ミヤコワスレの花言葉には、都を恋しく思う気持ちが、花言葉になっています。
その中には「別れ」「しばしの別れ」「無念」といった暗い花言葉もつけられています。
佐渡へと島流しになり、都だけでなく家族や恋人などと、生き別れることとなったため、「別れ」「しばしの別れ」といった花言葉があるそうです。
また、戦に負けてしまったことへのくやしさから、「無念」とつけられました。
ミヤコワスレが詠まれた詩
順徳天皇によって名前がつけられた、ミヤコワスレ。
そのことがわかる詩が詠まれています。
「いかにして 契りおきけむ 白菊を 都忘れと 名づくるも憂し」
順徳天皇が白く健気に咲く花をみて、一時の寂しさが忘れられることと、どこか寂しい気持ちが入り混じっていることがわかります。
薄い青色が、さわやかに感じられるミヤコワスレ。
少し悲しい雰囲気にも見て取れます。
そんなミヤコワスレは、順徳天皇と深い関係があり、生前の心の癒しとなっていたことは間違いありません。
庭先に植えると、可愛らしい花が、見る人の心の穴をうめてくれるでしょう。