「1月14日 タロとジロの日」(愛と希望と勇気の日)
■はじめに
タロとジロのブロンズ像は永らく東京タワーの敷地内に設置されていましたが、周辺の整備事業に伴って、立川の国立極地研究所に移設されました。
そう言えば、渋谷のハチ公像も撤去されるとか、されないとかの話が出ていましたが、そっちはどうなった?
目 次
タロとジロの日とは
1959(昭和34)年1月14日、南極に置き去りにされた第1次南極越冬隊の15頭の樺太犬のうち、タロとジロの生存が次期越冬隊によって確認されました。
このニュースに日本中が沸き立ち、以来、この日は「タロとジロの日」と呼ばれるようになりました。
しかし、どういう経緯かは知りませんが、「愛と希望と勇気の日」なる甘ったるいサブタイトルも付けられてしまいました。
この手の余計なものは、たいていが商売で便乗しようとする手合いの仕業ですが、そもそもどこに「愛」があるんだかわかりません。
■タロとジロの日の意味と由来
1956(昭和31)年秋、第1次越冬隊11人、犬ぞり隊の樺太犬22頭が南極へ向け出発し、任務を終える1958年には第2次越冬隊と交代する予定でした。
しかし、2次隊を乗せた南極観測船「宗谷」が厚い氷に進路を阻まれ、交代を断念し、1次の11人をヘリコプターで収容するにとどまりました。
そこに問題があって、1頭が50kgにもなる樺太犬を15頭(病死などで7頭減)も乗せる余裕がなく、犬を鎖につないだまま置き去りにするしかありませんでした。
鎖につないだままなのは南極の生態系を守るための苦渋の決断でしたが、帰国後、隊員は日本中から非難を浴びることになります。
ジロは1960年7月9日、昭和基地で病死(5歳)、タロは帰国後、北海道大学で余生を過ごし、1970(昭和45)年8月11日、老衰のため14歳でジロのもとへ旅立ちました。
■タロとジロの日のイベント
定例化したイベントはありませんから、またいつか映画やTVドラマ化される際に期待しましょう。
タロとジロの日の雑学
▽なぜ生きていられたか?
生き延びたタロ、ジロの以後の話は映画「南極物語」でよく知られていますが(映画なので脚色あり)、しかし、どうしてこの2頭が極寒の南極で1年間も生き抜けたのかは、目撃者がいないのでハッキリした理由は不明です。
現在、有力とされる説が2つあって、まず、ペンギンやアザラシの糞を食べていたのではないかという説。
栄養豊富な南極の海でエサを食べているので、糞にも豊富な栄養が残っており、消化し切れていない小魚も含まれていたようです。
もうひとつは、ソ連隊が無人の昭和基地に立ち寄った際、「鎖から放れていた2頭に生肉を与えたら大喜びした」という話が伝わっています。
▽「リキ」
鎖につながれたまま死んでいたのが7頭、あとの6頭の姿は見つかりませんでしたが、1968年、昭和基地の近くの解けた雪の中から、「リキ」の死骸が発見されました。
この「リキ」は幼かったタロとジロの面倒をよく見ていたそうで、自力でエサを確保できない2頭を見捨てずに基地に残ったと見られていますが、リキは最年長だったために体力を失って力尽きたとも言われています。
タロ、ジロのほかにも、名前を知られていない13頭がいたんですね。
置き去られた15頭は次の通り(敬称略、五十音順)
アカ、アンコ、クロ、ゴロ、ジャック、シロ、ジロ、タロ、デリー、風連、ペス、ポチ、モク、紋別、リキ
■最後に
現在は、雪上車やヘリがあるので犬ぞり隊は不要で、また、環境保護のために動物の持ち込みは禁止されていますから、2度と置き去り事件は起きないでしょう。
環境保護とは、南極にはないウイルスを、人間や犬がペンギン、アザラシなどに与えてしまうことを防ぐ趣旨で、ペンギンには5m、アザラシには15m以内に近づいてはいけないそうですが、天敵がいないせいかペンギンには警戒心がなく、先方から寄ってきてしまうそうです。
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