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左遷の日とはいつ?意味や由来、イベントは。菅原道真が太宰府に

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▪はじめに

現代のサラリーマンにおいて怖いものの1つに左遷がありますよね。

そんな左遷に記念日がある事を皆さんご存知でしょうか?

左遷の日は、歴史上最も有名な左遷劇である菅原道真の太宰府への左遷に関係した記念日なのです。

 

左遷の日とは

左遷の日は、毎年1月25日にあります。

左遷の日とは、901年(延喜元年)1月25日に菅原道真が九州の太宰府に左遷された日に因んで制定された記念日です。

 

▪意味

左遷の日は、学問の神様として有名な菅原道真が醍醐天皇によって太宰府に左遷された日に因んだ記念日です。

 

菅原道真は、醍醐天皇の父・宇多天皇にその学力や政治的手腕を認められ出世して右大臣までに昇りつめましたが、政権を手に入れるために道真が邪魔だった左大臣・藤原時平が醍醐天皇に「道真が自分の娘婿を次の天皇に立てようとしている」という偽りの罪を進言し、これを信じた醍醐天皇により道真は901年1月25日に太宰府へ左遷されたのです。

道真は失意のまま、2年後の903年(延喜3年)2月25日に太宰府で亡くなりました。

 

▪由来

左遷の日は、901年(延喜元年)の1月25日に菅原道真が九州の太宰府に左遷されたことに由来しています。

 

▪イベント

全国にある天満宮と名の付く神社は、菅原道真を祀った神社です。

多くの天満宮では毎年1月に、道真のある逸話に因んだ「鷽替え(うそかえ)」という神事が執り行われます。

「鷽替え」は次のような逸話が由来となっている神事です。

 

道真が太宰府に左遷された翌年の1月7日、道真が悪魔祓いの祈祷をしていた時に、真冬なのにも関わらずどこからか蜂の大群がやってきて道真を襲いました。

その時、どこからか鷽(うそ)という小鳥の群れが飛んできて蜂を1匹残らず食べてしまい、道真の命を救ったということです。

この話から、鷽は幸運を招く道真の守り神として天満宮で祀られるようになりました。

 

「鷽替え」の神事とは、天満宮内で販売している木で作られた「木鷽」という像を持って行います。

この木鷽を持った参拝客が「替えましょ、替えましょ」という掛け声のもと近くにいる人と木鷽を交換し合います。

これは、今まで知らず知らずのうちについた嘘を天神様(菅原道真)の誠心に替えるという意味と、これまであった悪いこと(凶)を嘘にして今年の吉に取り換えるという意味があります。

神事の時に交換した木鷽は、家に持ち帰り神棚にお祀りしておき、次の年の「鷽替え」の神事の時に使うと良いそうです。

 

「鷽替え」の神事は太宰府天満宮をはじめ多くの天満宮では毎年1月7日に執り行われますが、愛知県名古屋市の山田天満宮や上野天満宮など毎年1月25日に執り行われるところもあります。

興味のある方はぜひ参加してみてください!

太宰府天満宮

山田天満宮 

 

左遷の雑学

<「左遷」の語源とは?>

「左遷」とは、これまでよりも低い地位に落とされることや低い地位に落とされたうえで地方へ移されることを意味します。

この「左遷」という言葉、なぜ「左」という字を使うのでしょうか?

 

左遷という言葉の語源は中国にあります。

中国では昔、「右」を尊び「左」は卑しいものとして考えられていました。

この思想から官位を低い地位に遷す(うつす)ことを意味する「左遷」という言葉が中国で生まれました。

 

またもう1つ、「史記」の中で有名な項羽と劉邦との話も「左遷」語源になっているとされています。

中国を統一した秦を滅ぼす為に項羽の元で戦った劉邦でしたが、関中という土地を巡りライバル関係にありました。

 

元々「最初に関中に入った者を関中の王にする」という約束だったのですが、暴君項羽は先に関中に入り項羽を関中に入らせないようにした劉邦に腹を立て殺そうとまでしました。

劉邦は項羽に謝罪し宴会を開いて項羽の怒りを鎮めることは出来たのですが、項羽は劉邦の事を良くは思わなくなりました。

 

そして秦を滅ぼした後、功績を挙げた諸侯に領土を分け与える時に、項羽は劉邦には関中ではなく巴・蜀・漢中という辺境の地を与えます。

これらの土地が地図上で中央よりも左側にあったために「左に遷す=左遷」という言葉が生まれたのです。

 

こうして中国で生まれた「左遷」という言葉は日本に渡ってきたのですが、実は中国では時代によって右と左の優劣が変わっていたのです。

日本が中国をお手本としていた隋や唐の時代には右よりも左の方が尊ばれていた為、日本の官位は右大臣よりも左大臣の方が位が上だったというわけなのです。

ですから、中国をお手本とする時代が違っていたら「左遷」ではなく「右遷」という言葉になっていたかもしれませんね。

 

<道真は左遷されたから神様になった?>

太宰府に左遷された菅原道真は、死後神様として祀られるようになりますが、これには恐ろしい理由があったのです。

道真の死後、左遷を命じた醍醐天皇の周りでは嘘の進言をした藤原時平・醍醐天皇の息子・醍醐天皇の孫と次々に人が亡くなっていきました。

そして930年、清涼殿(政治を執り行う部屋)に雷が落ちて道真の左遷に加担した藤原清貫ら数人の官人が焼死します。

 

これらの出来事は道真の怨霊によるものだという噂が飛び交い、それを信じショックを受けた醍醐天皇も清涼殿落雷事件の3か月後に亡くなってしまうのです。

そして道真は、雷神として恐れられるようになり、その怨念を鎮めるために北野天満宮が建てられ、以後「天神様」として祀られるようになりました。

しかし、生前の道真はとても温厚で優れた学者であったので怨霊信仰は徐々に廃れていき、学問の神様として祀られるようになったのです。

 

▪まとめ

今も昔も、日本国内外も左遷は怖いものですね。

やはり「出る杭は打たれる」ということなのでしょうか…?

菅原道真を祀っている天満宮や神社は厄除けのご利益もありますので、左遷されないように厄除けをしてみるのもお勧めです!

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