「2月16日 寒天の日」
■はじめに
筆者の大好物のみつ豆は、大部分が寒天で占められています。
寒天そのものは味も素っ気もない代物ですが、独特の食感がみつ豆を引き立てていますね。
しかし、医学の研究で微生物を培養するために寒天が利用されているのを知った以後、みつ豆を食べるたびに、シャーレの中の細菌が目に浮かんできます。
目 次
寒天の日とは
2005(平成17)年2月16日、全国に放送されているNHKのテレビ番組「ためしてガッテン」で、高血糖や高コレステロール、高血圧、肥満などの改善、予防に効果がある食品として、寒天がテーマに採り上げられました。
この放送以降、健康食品として寒天がブームになったため、日本一の角寒天の生産地である長野県寒天水産加工業協同組合と茅野商工会議所が、放送翌年に2月16日を「寒天の日」と制定しました。
■寒天の日の意味と由来
テングサ、オゴノリといった紅藻類から作られたところてんを脱水、乾燥すると寒天が出来上がります。
この脱水と乾燥の工程の有無によって寒天は無臭となりますが、ところてんは海のミネラルが残るので磯の香りがしますね。
ところてんは仏教伝来(西暦538年ころ)とともに伝えられたと言われており、西暦701年制定の「大宝律令」には貢納品として記述されていますが、庶民には手が届かない高級品でした。
ところてんから寒天が作られるようになったのは江戸時代前期、京都・伏見の旅館の主人美濃屋太郎左衛門がところてんを冬の屋外に出したまま忘れたことを発端とする偶然の発見によるものでした。
数日後に白く乾燥したところてんを煮たところ、磯臭さが消えて透明な塊になり、これが寒天の誕生と言い伝えられていますから、寒天は日本で発明されたことになりますね。
「寒天」と命名したのは、江戸時代初期に渡来し、インゲンマメを伝えたことでも知られる隠元禅師で、「寒い天(空)に放置して作る」ことが由来とされています。
海がなく、海藻の採れない内陸の茅野市が寒天の産地となったのは、冬に氷点下になって凍らせる工程のためでした。
■寒天の日のイベント
もちろん茅野市は毎年2月にイベントを開催し、どんな食感だか見当のつかない寒天豚汁を振る舞っていますが、無料配布のお土産は寒天ではなく、ところてんのほうでした。
特売コーナーでは「寒天の日記念、1万円以上お買い上げで10%値引き」だそうですが、一体だれが寒天を1万円も買うんでしょうね。
また、寒天発祥の京都・伏見も負けじと、伏見寒天プロジェクトを結成、寒天バレンタインスイーツなどのレシピ紹介をはじめ、寒天にまつわる古地図を調べ、伏見の歴史をたどるイベントで盛り上げています。
寒天の日の雑学
▽ところてんは漢字で「心太」と書くのをご存知ですか?
大宝律令の記述にあるところてんは「天草が固まる」という意味を表す「凝海藻」(こるもorこるもは)という名前で書かれています。
平安時代になると、今度は「古々呂布止」(こころふと)と呼ばれるようになります。
しかし、この「こころ」は固まるという意味の「こごる、こる」(凝る)で、まだ「心」ではありません。
「ふと」はお餅のような柔らかい食べ物のことで、「古々呂布止」は直訳すると「凝り固まったお餅」といった硬いのか柔らかいのかわからない代物です。
その後、面倒になったのか、「古々呂布止」は「心太」の2文字が使われるようになりましたが、字は変わっても声に出せばまだ「こころふと」のままで、どういう経緯で「ところてん」になったのでしょうか。
と、話を引っ張っておいて、つまらないオチで恐縮ですが、
「こころふと→こころたい→こころてぃ→こころてん→ところてん」
が有力な説になっています。
「心太」という漢字表記は今も残っていて、PCでも変換できますが、あまり見かけませんね。
▽寒天の加工品は早めに食べるべし
乾物のままの寒天の賞味期限は3年近くに設定されて長く保存出来ますが、私たちが目にすることの多いみつ豆の水に戻した寒天の命は、冷蔵しても2~3日しかもたず、冷凍しても解凍時に水分が抜けてスカスカになっていまいます。
寒天が腐ると緑色のカビが生え、どろっとするそうです。
■最後に
日本名水百選にも選ばれている静岡県・伊豆河童は日本一のテングサの産地だと、地元が言っています。
1875(明治8)年には旧天城トンネル近くに寒天工場が建設され、河津川にかけられた橋は「寒天橋」と命名されています。
そうです、石川さゆりの名曲「天城越え」の2番に出てくる「寒天橋」がこれですね。
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